tama_harabja_0819.jpg【06年6月にハラブジャで化学兵器被害者協会とともに開いた日本被団協の「原爆と人間展」。大やけどを負った被爆者たちや、瓦礫と化した町の写真を見て、今のイラクのようだ、と見学に来た小学生たちは話していた/06年6月撮影:玉本英子】
 

今日はハラブジャ化学兵器被害者協会のヒクメット・ファイードさんから写真がメールで届いた。
ハラブジャ市内で、広島・長崎の追悼の会が開かれ、市民およそ100人が集まったという。

88年3月16日に当時のイラク軍による毒ガス爆弾で5000人が殺されたイラク北東の町ハラブジャ。イラクのヒロシマ=ハラブシマ、とも呼ばれるだけに、市民の広島、長崎への関心は高い。
ヒクメットさんは、こうも記していた。

「大量殺りく兵器の被害者という意味ではハラブジャとヒロシマは同じ。ヒロシマ、ナガザキ(と向こうでは発音する)を忘れてはいけない。殺りく兵器が2度と使われないように、自分たちも被爆者から、もっと学ばなければ」。
その言葉に、関心の低さから被爆、戦争体験の継承が危ぶまれている日本の状況を振り返り、複雑な気持ちになった。