在日帰国者たちも、次第に北朝鮮の現地住民を揶揄する呼称を使うようになった。「ゲンジューミン」「ウォンジュミン」「ゲンチャン」などで、いずれも「原住民」から転じたもの。他にも、「アパッチ」という呼び方もある。これは、米国先住民を、「未開人」「野蛮人」として描いた西部劇映画の影響と思われるが、ひどい見下し方だ。
日本と北朝鮮との生活習慣の違い、言葉がなかなか通じない疎外感、在日の状況をよく知らないのに、時に見下すような態度を取る地元住民への反発、そして逆に「先進国日本」から来ているという優越感がないまぜになって、そのような言葉を使わしめていたと思われる。

帰国事業開始から半世紀が過ぎた今になっても、帰国者たちの間では「ゲンチャン」などの呼称が日常的に使われている。さらに、それは北朝鮮で生まれ日本語も解さない帰国者二世、三世たちにも引き継がれている。その一方で、自らを「ウリキグッチャ子女(私たち帰国者子女)」と称して、現地住民と一線を画すのだ。帰国者は帰国者同士の結婚を望み、そうして生まれた子どもはまた、帰国者というアイデンティティを受け継ぐことが続いてきた。現在でも、在日帰国者が北朝鮮社会に融和しきれておらず、疎外と反発を残しながら暮らしていることを想像させる。

帰国者の中には、日本にいる親族からの送金で裕福な暮らしをしている者も少なくなかった。しかし、日本の親族が亡くなったり、引っ越しをして音信不通になったり、また長年の援助に疲れたりして、送金額を減らしたりやめたりするケースが九〇年代に続出した。日本のバブル経済の破綻によって、北朝鮮に仕送りどころではなくなった在日の親族も多かった。日本からの支援に頼り生きていた人たちは、「苦難の行軍」と呼ばれた大飢饉の最中や、その後訪れた市場経済の競争の中でバタバタと倒れて行った。そして、拉致問題や北朝鮮の核実験やミサイル発射などで日朝関係が緊張すると、日本とのパイプはますます細り帰国者たちの生活は悪化の一途を辿っていく。

以下は〇九年から一〇年にかけて編集部が中国で接触した北朝鮮の人たちの帰国者に関するコメントである。
「『ジェポ』たちは、皆がお粥を食べていた頃にも白米と肉を食べていたのに、今では私たちと変わらずお粥を食べて暮らしている」(清津[チョンジン]市在住二〇代男性)

「『ジェポ』たちはみじめな暮らしをしていますよ。日本からお金を送って来なくなったから。コチェビになった人もいますよ」(清津市在住五〇代女性)

「二〇〇六年に定期船(万景峰号)が途絶えてから大変です。昔は羽振りが良くて大手を振って歩いていた『ジェッキィ』たちも今は見る影もありません。本当に大変です」(元山[ウォンサン]市在住三〇代女性)
かつて、北朝鮮で最も豊かな暮らしをしていると言われていた在日帰国者たちが、現在では最も厳しい生活を強いられているという話は、枚挙に暇がないほど耳にするようになった。

今や、北朝鮮で「ジェポ」「キィポ」「ジェッキィ」という呼び名から連想される在日帰国者たちは、やっかみやねたみの対象ではなく、みじめに転落したかわいそうな人々なのである。
取材・整理 リ・ジンス
二〇一〇年一月

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