第11回 平壌の裏通りを行く 美林(ミリム)洞区域
美林洞には公設市場がないため、商売は屋根の無い露天市場で行われている。そのため雨を避けることができるよう、高架道路の下が中心となっているようだ。露天商売は主に、[一]美林駅から出る線路沿いの一帯、[二]美林閘門とつながる高架道路の下辺り、そして[三]大同江の川べりの土手の上などで行われている。いずれも数百人規模の売り手が出ているなど活気がある。これは美林洞が郊外といっても、人口過密な首都平壌の一部であることを示している。
(撮影 リ・ソンヒ 平壌・美林洞区域 2008年12月 02分17秒)

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九〇年代後半の社会混乱の中で、平壌でも多くの餓死者が発生した。その後も今日まで経済の復旧は成らず、最も優待される平壌ですら食 糧配給は遅配欠配が日常茶飯事である。政府の言うことを聞いて配給だけを待っていたのでは飢え死にしてしまう。そんな中で平壌市民たちも、めいめいが創意 工夫して商売に立ちあがった。

美林洞の寒空の下で、質素な防寒着姿で地べたに座ったり立ったりしたまま商売をしている女性たちを「貧しく可哀そう」な人たちだと見ると、北朝鮮社 会を見誤ることになる。彼女たちは統制が厳しい平壌にあって、経済的に自立して暮らしていくことができる唯一の方法である商売を、しんどいながらも喜んで やっているのだ。それは、働けば働いただけ実入りが増えるからであり、商売こそが豊かになれる唯一のチャンスだからだ。彼女たちの働く姿は、一定の「経済 活動の自由」を勝ち取って懸命に生きている姿だと捉えるべきだろう。

これまでメディアを通じて我々が見せられてきたのは、特別な平壌、あるいは例外の平壌である。今回のリ・ソンヒの報告にある「一号道路」の外側の民衆の姿にこそ、平均的で平凡な平壌市民の暮らしが見えるはずだ。


動画 (02分17秒)  (C)ASIAPRESS

110430pyonura_11_01線路沿いの500メートルほどの道にずらりと人が出て商売をしている。場所が足りず、線路の上にまで上がりこんで物を売っている女性も数多くいる。商売をする女性同士の多くは皆顔見知りのようで、談笑しながら通行人に声をかけている。様々な品物が並べられているが、もっとも多いのは食品だ。

 

110430pyonura_11_02線路脇の狭い道に所狭しと店が広げられ、人が通るのもやっとだ。北朝鮮で生活するうえで欠かせない、リュックサックを背負っている人が多い。

 

 

 

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平壌東部の地図(写真)[google Mapより]
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平壌(ピョンヤン)――そこは、指導者金正日総書記が住む朝鮮民主主義人民共和国の「革命の首都」であり、首領故金日成主席の生家のある「聖地」である。それゆえ、平壌は常にソウルよりも美しく発展した都市でなければならなかったし、そのように見えなければならなかった。塵一つ無い広々とした通りと広場、整然とした高層アパート群、そしていつも笑顔で幸福そうに街を歩く清楚な身なりの人民たち......。

これまで外国メディアや観光客が訪れて目撃、撮影した平壌の姿も、こういった北朝鮮当局が伝えるものと大差なかった。外部の者には、平壌の中を自由に動き回るチャンスは微塵もなく、原則として金正日がお通りになる「一号道路」の内側の姿だけしか見ることが出来なかったからだ。
本誌記者のリ・ソンヒは、2008年の12月と2009年の1月、「一号道路」の外側に広がる平壌の日常を撮影することに成功した。外部世界の者がこれまで見ることのできなかった「意図的に隠されてきた」空間をお伝えする。

一号道路について
金正日が直接関わる事項に対しては、すべからく「一号」という接頭語が付される。例えば「一号行事」と言えば、金正日が直接参加する行事のことで、「一号列車」は金正日が乗る列車のことだ。「一号道路」とは金正日が通る道路である。これらの道路は、常に舗装され、きれいに整備されていなければならないことになっている。平壌の中心部を走る「一号道路」の内側のエリアは、どこを見ても美しく整備された光景だけが目に飛び込んで来るように設計されているので、平壌を訪れた外国人は、写真でもビデオでも大した制約なくそこを撮ることができる。

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