第7回 公開議論・質疑応答 (1)なぜ検察関係者から改ざんの話を聞き出せたのか
パネリスト:石丸次郎(アジアプレス・インターナショナル)
板橋洋佳(朝日新聞記者)
司会:合田創(自由ジャーナリストクラブ)

左・板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞記者 右・石丸次郎(アジアプレス・インターナショナル)

左・板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞記者 右・石丸次郎(アジアプレス・インターナショナル)

20110603_journalism004(石丸)
自己紹介をお願いします。
(板橋)
わたし自身の話を少しだけさせていただきます。
なぜ検察関係者から捜査ミスの話を聞き出せたのかということをよくきかれます。
その答えになるかはわかりませんが、私は記者になった理由も含めて自分のことを取材相手になるべく話すようにしています。

私は高校2年の時、17歳の時に、父をがんで亡くしました。このときに気付いたのが当たり前のことなんですが、人は死ぬと話ができない、死んでしまうと会うこともできないということです。
父がなぜ母と結婚したのか、どういう思いで繊維業を経営していたのか、そういったことがなにも聞けなかった。
生きているうちに話を聞き、記録に残さないといけないと思っているときに 中学校時代の恩師から元朝日新聞記者の本多勝一さんが書いた「殺される側の論理」を薦められました。

本を読み、自分の体験とあいまって、わたしもされる側から見た、取り残された側から見た視点で、ものを書く記者になりたいと考えました。
大学に入ると母もがんになり、私が22歳で地方紙の記者になった年に亡くなりました。される側の視点を忘れない記者になりたい気持ちがより一層強まりました。

これが、わたしの原点です。
新聞記者の仕事はなにかというと、そのまま字の通りで、新しいことを聞いて記す者だとわたしは思っています。新しい話というのは、なにも不正だけではなくて、世の中でがんばっている人たちの話もあります。

新しい話ということにこだわり、埋もれている事実や隠された事実を記録していくために取材力を高めたいと考えています。
どうやって検察関係者から話を聞き出すのかということに戻れば、今のような自分の話をするだけでなく、なぜ検事になったのかという話も聞かせてもらい、組織の問題も一緒に話し合える関係を作ろうと心がけてきました。
(合田)
石丸さんから板橋記者の話に対して感想をお願いします。
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