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全国の流通拠点として活況を呈していた平城市場も「貨幣交換」後はすっかり低迷している。上は08年8月、下は10年10月の平城市場の様子(平城市場は09年に場所を移転している)。(上下ともキム・ドンチョル撮影)

全国の流通拠点として活況を呈していた平城市場も「貨幣交換」後はすっかり低迷している。上は08年8月、下は10年10月の平城市場の様子(平城市場は09年に場所を移転している)。(上下ともキム・ドンチョル撮影)

証言 経済悪化、民衆の困窮 1
整理 石丸次郎/リ・ジンス

次に見ていきたいのは、超インフレが進行する一方で、民衆の暮らしにどのような混乱が起こっているのかである。統計数値だけではわからない北朝鮮の人々の生活相を、証言から見ていきたい。

1. 市場の機能不全
北朝鮮において、この十数年の間に市場経済が爆発的に広がり、国民の多くが、国家統制のくびきを離れて商売行為で暮らしていることについては、リムジンガンは度々言及してきた。

「貨幣交換」措置に付随して、北朝鮮当局は当初、物の売買を国営商店で行うよう誘導するため、公設市場の規制に動いた。これは、混乱と住民の反発に遭って三ヶ月ほどでうやむやになった。国営商店に国家が消費物資を供給できなかったからだ。

その後市場空間の規制は「貨幣交換」以前よりも緩められたようだ。例えば、〇八年頃から、四〇歳未満の女性が市場で商売することを取り締まったり、販売できる商品の種類と量を細かく定めるなど、市場に対する強い統制措置を取っていたのだが、一〇年の二、三月頃からは黙認されるようになったと各地から報告が届いた。

「若い女性が商売しても何も言われなくなった。商品の大量販売だけはうるさいが、その他の規制はずっと緩くなった。むしろ、『商売してでも各自が自力で食べていくように』と人民班会議などで言われるようになった」。(キム・ドンチョル記者)

金正日政権は、増殖する市場を力ずくで管理しようとして失敗、混乱を引き起こすだけに終わり、結局物資の流通を再び市場に委ねることになったようだ。政権が市場のパワーに屈した形である。

しかし、「貨幣交換」措置によって傷付いた市場の復旧は容易ではなさそうだ。
正確な統計はどこにもないのだが、現在、都市住民のおよそ八割には食糧配給も給料も出ていないと、編集部では推測している。学校教員ですらごく一部の地域を除いてまったく支給を受けていない状態だ。

食糧配給が出ているのは、軍隊、警察、保衛部、党、行政、機関の幹部、平壌市民の一部、優良炭鉱・鉱山、軍需産業など政府が稼働させることを最重視している企業所の従業員などである。この「優先配給対象」といえども、規定通り扶養家族の分まで配給が出ているのは警察官や保衛部員、幹部たちに限られ、多くの場合本人分だけしか出ていない。
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