◆県補助打ち切り
韓国からも初めて支援の手が差し伸べられた。韓国のテレビが震災取材で東北朝鮮学校を取り上げ、その番組を見た仏教団体が義援金を持って訪れた。
「初めて行く道は遠いが、一度行ったそれは近い」という言葉とともに。

東北朝鮮初中級学校は1965 年4月、東北6県唯一の朝鮮学校として開校した。3万坪の敷地面積は全国の朝鮮学校の中で最も広い。70年には高級学校(高校)が新設され高校生用の寮も建てられた。
尹校長は東北朝鮮学校のOBでもある。高校時代、小・中・高校と幼稚園を合わせて800人が在籍していたという。しかし80年代ごろから児童・生徒数が減り始め、2009年には高級学校が休校となった。現在、児童・生徒数は25人にまで減少している。

今回の震災で、在日はもとより、日本人や韓国からも東北朝鮮学校にたくさんの激励やカンパなどが寄せられたが、一方で、宮城県からはこれまで保障されていた教育振興補助金の打ち切りを通告された。
理由は「昨年のヨンピョン島砲撃事件と県民感情」。
その事件と東北朝鮮学校の子どもたちと何の関係があるのか。県民感情とは誰に聞いたのか―。
さらに、尹校長は「宮城県に住み、税金をわずかながらも納めている者として、学校再建には日本の学校と同じように2分の1の補助金を」と要望しているが、県からの正式な回答はまだないという。

震災で得た大規模半壊と診断された校舎は公費で解体されたが、再建への見通しはまだ立っていない。
それでも、尹校長はいう。
「人間苦しいときに出会った人を忘れないと言いますが、まさに私たちにとって忘れることのできない素晴らしい出会いであり、支援であり、絆でもあります」
高さんの詩はこう結ばれる。
"あなたのいるところから
あなたにつながる人と人
手のぬくもりが
あなたがまた
あの海を
故郷を
また
人を愛しはじめる
あなたがはじまりになる"
(終わり)
「新聞うずみ火」:http://uzumibi.com/

★新着記事