事故では同級生の弟や妹も亡くなった。
「僕だけじゃありません。沖縄の人間なら当時、みな同じ体験をしてますよ。我々には何の人権の保障もないに等しかった。だからこそ平和憲法のもとで平和に暮らしたいと、復帰を求める声が高まっていったのです」

◆地位協定に阻まれ
2009年11月、村最大のイベント「読谷まつり」でにぎわう会場近くで、男性の遺体が見つかった。村内在住の66歳。状況から警察はひき逃げ死亡事件と判断した。男性は早朝ウオーキング中に事故に巻き込まれ、半日以上、雑木林の陰に放置されていた。帰郷していた平安名さんは翌日新聞を開いて絶句した。「読谷高校の3年のときの同級生だったのです。ショックでしたね」。数日後には同窓会が予定され、久しぶりに彼とも再会できるはずだった。

ショックに拍車をかけたのはひき逃げ犯人の素性。トリイステーションに所属する27歳の米兵だったのだ。フロントガラスが割れた「Yナンバー」の車を修理工場に持ち込んだことが決め手となった。
普通ならここで容疑者が逮捕されてしかるべきだ。ところが相手は米兵。基地に逃げ込み、身柄の引き渡しどころか、県警の任意の取調べすら応じようとしない。それでも、不平等な日米地位協定が壁となり、日本側は手も足も出せないのだ。

米兵は繁華街で遊んでの朝帰りの途中だったという。飲酒運転の可能性も指摘されていた。にもかかわらず、那覇地検の起訴を受けて、米兵の身柄が日本側に引き渡されたのは、事故から2カ月後のことである。この6月、懲役2年8カ月の実刑判決が最高裁で確定したばかり。裁判では不誠実な態度に終始、遺族感情を逆撫でし続けたという。

沖縄では、米軍等の事件・事故がいまも年間1000件あまり発生している。沖縄の人々は、一貫して日米地位協定の抜本改定を求めて声をあげてきた。しかし、その叫びを米国はもちろん、日本政府も聞こうとはしてこなかった。

事故を起こした米兵が逃げ込んだ米陸軍基地・トリイステーション

 

◆祝う気になれない
野田首相らも出席して沖縄で開かれた5月15日の復帰40年記念式典。その模様を報じる翌日の新聞を見ながら、金城洪臣さん(72)=大阪市淀川区=はぽつんとつぶやいた。「私もこの気持ち、よくわかるんですよ」紙面には大きく大田昌秀元沖縄県知事の写真があり、「深まる本土との溝」という見出しが添えてあった。大田元知事は、「とても祝う気になれない」と、招待された式典の出席を拒否していた。沖縄は大の虫を生かすためには犠牲にしてもやむをえない小の虫であり、政治的質草、取引の愚であり続けたと――。

金城さんは関西地区読谷郷友会の初代会長。1995年に沖縄で起きた少女暴行事件を機に、基地をなくす運動を関西の地で取り組んできた。「それからさらに17年も経つのに普天間基地は動かない。沖縄への基地負担も変わらず、さらに危険なオスプレイまで配備されようとしています」と怒りをにじませる。

「こんな一つの地域が半永久的に基地として、好き放題に使われるということは、世界に例がないですよね。では、そうさせたのは誰なのでしょうか。日本は独立国として法治国家として、アメリカに言うべきことをいわなくてはならない。結果的に辛い思いをするのは沖縄県民。どうか日本の国民全体が考えてほしいのです」

郷友会が発案した、読谷村・残波岬に建つ「旅人(たびんちゅ)」のモニュメント。同村在住の彫刻家・金城実さんの作品。古里を離れて、古里を強く思う読谷山人(ゆんたんざんちゅ)の思いがこめられている。