◆橋下現象をどう見る(1)
今回の衆議院議員選挙のポイントは何か?貧困・格差問題、橋下現象、憲法改正の三つのテーマについて、社会運動家の湯浅誠さんに聞いた。(聞き手 石丸次郎)

社会活動家の湯浅誠さん(撮影 アジアプレス南正学)

社会活動家の湯浅誠さん(撮影 アジアプレス南正学)

 

橋下支持も「制裁型」
石丸:橋下現象が起こってる大阪で活動を始めて半年。今振り返ってみて、大阪での橋下現象をどうご覧になりますか?
湯浅:必ずしも積極的な支持が強いという訳じゃないなと、いろんな人との会話の中で感じました。よく聞いたセリフは、「橋下も橋下だけど、あれくらいやらなきゃだめなんだ」というものです。いわゆる既得権益と言われるような、労働組合とか、そういうものに対する制裁として彼を支持する。つまり積極的に彼を支持しているわけではないんです。彼のやり方や発言には付いていけないという気持ちがある反面、それ以上にもう一方への不信感が強いので、それを叩くためには、あれぐらいの「ワル」でもないと。そんな感じの制裁型の消極的支持が多い。去年の大阪市長選挙で75万票取ったけれど、実はそのうちの少なからぬ人たちは、そんな動機で投票したんじゃないかなと感じました。

「日本社会は50代」を認められない人々の「あがき」
石丸:橋下さんは今回、国政に乗り出したわけですけど、湯浅さんは著書『ヒーローを待っていても世界は変わらない』の中で彼について書かれていますね。彼を「ヒーロー待望」の中でどのように位置づけますか?
湯浅:さっきの制裁型というのが、「不信をテコ」にしているのだとすると、ヒーロー待望論というのは「不安をテコ」にしている。要するにある種の「あがき」なんだと思います。

日本経済は右肩上がりの時期を終えて、人口減少、生産年齢人口減少に入っていて、これからかなり急速に若い人たちが減っていくという状況の中で、人間に例えればどう考えても青年期ではありません。まあ50代とかでしょう。50代には50代なりの成熟の仕方というものがあるはずなんですけが、なかなかそれを受け入れられない人が、「20代よ、もう一度」とあがく。

そのあがきの一つが、小泉改革でした。あれもただアメリカのバブルに乗っていただけでしたが、やっぱり、毎年毎月景気が上がり続けていくことにみんな喜んだわけです。そういう意味のあがきでした。そして今は橋下さんに対する支持がそれです。
彼自身もそうです。一方では堺屋太一さん。堺屋さんは、大阪万博が大阪のピークポイントだったと思っている人なので高度経済成長。また一方では竹中平蔵さん。竹中さんは、上げ潮路線ですよね。で、そういうお互い全然違うタイプの人たちと、あっちに付いたり、こっちに付いたりして、今はくっついているのは石原さんでしょ?石原さんというのは、80を越えてなおも太陽族のつもりですから。彼らも(日本社会が)50代になるのを認められない人たちです。

「カンフル剤みたいなもんだ」って言いますけど、確かに輪転機をがんがん回してお札を刷って、じゃぶじゃぶ金融緩和し、さらに大型補正を打って10兆円ぐらいばあっとバラ撒けば、そりゃあ一時的に景気は良くなりますが、カンフル剤が切れたら、鏡の前にいるのは50代の自分です。またカンフル剤を打ち続けていると疲労が蓄積し、かえって体力が落ちてくる。

本当は、50代型の成熟というものをみんなでシェアし、「こういうもんだよね」と受け入れられなきゃいけない。それが出来ないと、若かりし頃のノスタルジーにすがってしまう。右肩上がりを終えて、経済的に縮小していく今、大阪もかなり経済的に落ち込んでいる。その不安をあがきの中で解消する。それが橋下現象なんだと思います。それはやはり「不信と不安をテコ」にした現象だと思っています。
(続く)
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湯浅 誠(ゆあさ まこと)
1969年生まれ。社会運動家。自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長。元内閣府参与(緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長、内閣官房震災ボランティア連携室長、内閣官房社会的包摂推進室長)。2008年末に東京・日比谷公園で行われたイベント、『年越し派遣村』の"村長"としても知られる。近著に「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版)

 

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