◆いま、「差別はなくなった」と言われたりしますが、実際に差別はなくなってきているのでしょうか。あるいはいまも存在するのでしょうか。
赤井:差別はいけないことだ、という認識は広がってきていると思います。個人個人の意識のなかには、差別を克服していこうという意識はかつてより強まっていると思います。ただ、いまの日本の社会の制度や仕組みのなかに、差別が入り込んでいるという実態があると思います。携帯電話、車両登録、職歴などさまざまな個人情報を売買する情報屋が逮捕されたりして、体系的な人権侵害が起こっています。そこに戸籍や住民票を含む情報となると、被差別部落の身元調査というかかわりがでてくる。ネット上での差別は別にしても、直接的に部落差別をしようという人は減ってきている。しかし、社会の仕組みのなかに差別が入り込んで、いまなお根深いものとなっています。

この週刊朝日の件で、大阪市の担当者に聞いてみると、ふたつの電話が殺到したそうです。ひとつは、「橋下市長、(記事に)めげずにがんばれ」という激励の電話。もうひとつは、「やっぱり橋下市長の乱暴な物の言い方やスタンスは、部落の人間だったからなのか」というものでした。結局、部落差別はそうした根深いものとして残っている。それが今回の場合は、市長の乱暴な物言いと彼の出自を結びつけて、「やっぱり」ということが印象づけられた。それだけでもこの記事の責任は大きいと思います。そういう差別の現実がいまなおあるわけです。

一方で、差別されてるから私たちは闘うんだ、というのではなく、まず差別が常態化されているという意識に立って、では、この差別を根絶するための社会の仕組みとはいったいどんなことなのか。そんなことを私たちは追求していかないと、問題が起きたから対処するというのでは、解決になっていかないと思います。

◆例えば、黒人差別をなくすには、黒人が白人に近づくために肌を白く塗ればいいというのではない。互いに違いを認め合って尊重できるような社会にすればいいのですが、「差別されたくなければ黙っておけばわからないのに」という認識がいまも語られます。
赤井:障がい者差別をなくすには、障がいがなくなることが障がい者差別をなくすことではないですよね。障がいを持っても、いわゆる健常者とともに生きられる社会が、差別をなくすことにつながるはずです。部落差別の場合は、なかなか難しい。「部落民でなくなる」ことが部落差別をなくすことになるのか、あるいは部落の生まれだとかそういうことをもって差別されない社会になるのか。やはり後者だと思います。

◆いま、人権擁護に関する法律制定を求める動きがあります。とくにネットに多く見られる露骨な差別的言辞が放置されていいのかという議論がある一方、国家が言論や表現に介入することへの懸念も指摘されています。部落解放同盟は法律制定に賛成の立場ですが、これらの点をどう思いますか。
赤井:法律ができたから明日から差別はなくなる、というわけではないと思います。ただ、法は人の心を変えることにつながる。差別は社会悪だということを一定程度、法で定めることによって大きな啓発効果になる。そういうことの積み重ねが大事だと思います。人権擁護の法律ができたら人権が花開く世紀になるとか、そういうバラ色の議論ではなく、人権に関する法ができることによって、法律にまで高まった人権という概念、人権はそれほど大事なものなのだということを国民のなかに意識づけることが重要だと思います。

◆これからの部落解放運動のありかたをどう展望していますか。
赤井:これからの部落解放同盟はいかにあるべきなのか、を私たちも考えています。1922年(大正11年)、全国水平社が結成されて今年で90年。10年後の2022年には水平社から100年を迎えます。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言して結成された水平社にさかのぼる運動が、まだ今日も運動を続けなければならないのか、という時代になっているのか。被差別部落の出身の若い子どもたちは、ずっと部落にとどまっているわけではありません。そこで育った若者が、仕事の関係や結婚などで(地区から)出て行ったりしているわけです。じゃあその人たちに、私たちの情報が届いているのかといったら、届いていない。ところが、今回の週刊朝日のような問題だけは広がっていく。そんな矛盾を抱えたまま、いま運動がきている。

部落差別を受ける、受ける可能性がある、というような部分で集まるところから始まる運動を続けても、今後、意味がなくなってくるのかもしれない。部落に生まれ、そこで育ったことをプラスにする、そうしたプラス思考の考え方をもってどう運動を組織するか。そのときはもう解放同盟と呼ばないかもしれないですが、そういう時代に来ていることを私たちは認識しています。そういうように志向していかないと、若い子たちは部落に生まれ育ったことを誇りにも思いませんし、「できたら避けて通りたい、伏せておきたい、隠しておきたい」という「負のイメージ」になるだけです。ですから若い世代が胸を張って、部落で生まれ育ったことを誇りに思えるような運動に変えていきたいと思っています。
(了)

【赤井隆史(あかい・たかし)】
部落解放同盟中央執行委員・大阪府連合会書記長。
橋下行政改革による同和関連事業の大幅な再編、廃止方針に反対し、今年6月には大阪市役所を「人間の鎖」で包囲するなどしている。

【同和対策特別措置法】
部落問題の解決は国の責務という同和対策審議会の答申を受け、1969年、同和対策特別措置法が制定された。この措置法に基づき、住宅改善や道路整備、就学支援、税の減免など、さまざまな同和対策事業が実施され、劣悪だった生活環境などは大きく改善された。同和対策事業は33年間続き、2002年に終了した。
【飛鳥会事件】
2006年、財団法人飛鳥会の理事長が、同和対策事業の一環として大阪市外郭団体から委託されていた駐車場の運営をめぐって、業務上横領などで大阪府警に逮捕された事件。理事長が当時兼任していた部落解放同盟の支部長の肩書きなどを利用したことから、同和利権の問題が大きくクローズアップされた。また理事長が暴力団関係者の保険証取得に関与していたことも発覚。事件と前後して、大阪のテレビ局各社が同和関連で起きたさまざまな問題を取り上げるようになった。部落解放同盟は一連の不祥事を受け、外部識者からなる提言委員会を設置。部落解放運動の再生のための提言が委員会から出された。
【水平社宣言】
差別の解消と部落解放を掲げ、1922年、被差別部落民の青年たちを中心に京都で全国水平社が結成され、「人間を尊敬することをもって自らを解放せんとする」とした宣言が出された。日本最初の人権宣言とも評される。宣言の最後は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれている。

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