健司君の部屋には思い出の写真がいっぱい飾られている

 

◆反省日記延々と

健司君が停学処分を受けるのは2回目だった。3カ月前の12月に行われた期末テストの際、成績優秀だった健司君は友人に頼まれて答案を見せたのをカンニングと認定され、1週間の謹慎処分を受けた。
期末テストの8教科分すべてが0点となり、学年の全教師に謝罪させられ、反省文を書かされた。停学中は外出禁止、友達と連絡するのも禁じられ、毎日、反省日記を書くよう命じられた。日記には「1日の反省」という欄があり、隙間なく最後の行まで書き込まなければならなかった。

停学処分が解けたあとも、担任から3学期になってからも続けるように言われた。
「単調な記述の繰り返しで、『もう書くことないわ』と、よくこぼしていました。それまで兄弟げんかもしたことがなかったのに、弟につらく当たるなど、苛立ちを見せるようになっていました」
反省日記が健司君にとって負担になっていることに担任は気づかなかった。終業式の前日には、春休みも日記を書くよう命じている。学校での喫煙が見つかったのは、その翌日のこと。

喫煙発覚後に書いた反省文には「ストレスがたまっていて、それが少し和らぐと思って吸い始めた」と記されており、「2学期の終わりにカンニングのことで、指導を受けて、自分では十分反省したと思っていたけれど......」とも書かれていた。
「これでもか、これでもかと指導する教師は熱血漢あふれるいい教師と思われがちですが、そうでしょうか。ただルールを守らせる、教師に逆らわずに従わせる、それに違反したら罰則を与えるというやり方は、教え育てる指導ではないと思います」
自殺後、当時の校長は「自殺と指導とは関係ない」と言い切り、教育委員会も自殺と指導の因果関係を認めず、文部科学省へ「原因不明の自殺」と報告している。

ただ、担任と生徒指導の教師が健司君の死を無駄にしないと誓ってくれたことがせめてもの救いだったという。担任からの手紙には「教師って、なんと傲慢で非常識で横着なんだろうと自分を見つめ、反省しています」と書かれていた。
健司君が自らの命を絶ってまもなく11年。健司君の部屋は今もそのままで、思い出の写真がたくさん飾られている。

「指導と言うのは、目的、やり方、結果が正しくて、初めて正しい指導と言えるのだと思います。子どもを死なせるという結果はどこか間違いがあったということでしょう」
西尾さんが視線を投げかけたその先には、遺影の中で微笑む健司君がいた。
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