◆「復興災害」あえぐ再開発の街
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は1月17日で発生から丸18年を迎えた。神戸市では昨年、震災を知らない市民が人口の4割を超え、かつてのガレキの街には瀟洒な高層ビル群が立ち並ぶ。その一方、被災地の経済は低迷から脱し切れず、経済的に立ち直れない商店主も少なくない。

シャッターの下りた店が目立つ大正商店街

 

◆シャッター通りに

JR新長田駅前に立つ「鉄人28号」像を横目にアーケードを南へ行く。国道2号線を渡り、さらに南へ向かうと、生まれ変わったはずの街はどんどんさびれていく。
大正筋商店街では、週末だというのにシャッターの閉まった店舗が目立つ。「店じまいセール」という張り紙が何枚も貼られた紳士服店もある。震災前、西神戸を代表する商店街として、下町らしい活気にあふれていた昔日の面影はない。

あの日、1995年1月17日。大地震とともに火災で大きな被害を受けた新長田地区は、「神戸の副都心」を目指して、全国最大級の再開発が行われてきた。
震災から2カ月後、神戸市は震災復興開発事業を都市計画決定。98年に神戸市の第三セクター「新長田まちづくり会社」が設立され、再開発ビルの活性化やビルの管理、販売促進などの業務を担ってきた。

火災に見舞われた新長田駅南地区では、面積20㌶、総事業費2700億円の巨大再開発事業が創造的復興のシンボルとして行われた。「西の副都心」とうたわれ、防災拠点、安全・安心な街づくりを目指したが、ふたを開けてみると、再開発は庶民の町にふさわしくない高層ビルの乱立。地元で商売をしていた人たちの中には権利金が高くて入居できず、廃業した人も少なくない。だが、借金して入居した店舗所有者の多くも、街に客足が戻らないため、復興から取り残されている。

◆「副都心」の現実
しかも、震災から18年たったいまも、新長田駅南地区の再開発事業は継続中だ。
新長田駅南地区の再開発ビル「アスタくにづか」(計9棟)は震災復興のシンボルとされてきた。だが、店舗の床面積約7万5000平方㍍のうち売却できたのは、半分の約3万7000平方㍍。さらに、「管理費」が住宅より数倍以上高いことがわかり、昨年1月には、店舗所有者52人が3億円の管理費の過払い返還を求めて提訴した。相手は、神戸市も出資する管理会社「新長田まちづくり会社」である。
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