「そんなこと、分かるわけないだろう。私自身の仕事さえあるか分からないのに」
冗談を言ったというサインが彼の表情に微塵もないことを確かめながら、私は内心うなだれ、「やはりダメなのか」と考えた。
それから2年後の2013年5月、私は「ニュース&オブザーバー」を辞職した。社を去ったその日、つい数年前まで1000人いた従業員はすでに380人を切っていた。繰り返される解雇によりオフィスはガラガラだった。

リーマンショック以後、アメリカではおよそ2万人近い新聞記者と編集者が失職したといわれている。実に多くのジャーナリストたちが働く場を失った。解雇された後、大学で教えたり、新たに生まれた非営利の報道機関に携わる者もいるが、それはごく一部で、フリーで続けて食えないという状況に陥ったり、職替えを余儀なくされる者たちがほとんどだ。私の知る元写真記者の多くは結婚式を撮って生計を立てている。
皮肉なことに、地方紙として地元の読者に提供しているコンテンツは相変わらず、いや、むしろ今まで以上に広く読まれている。紙ではなく、パソコン上で、しかも無料でという但し書きがつくのだが...。

私が会社を去る少し前の2013年2月から「ニュース&オブザーバー」も電子版の課金制に踏み切った。予想以上の購読申し込みがあったが、オンラインの広告は単価が安いこともあり、大きな収益を得るまでには至っていない。収入のほぼ8割を広告から得ているとされるアメリカの新聞業界。そのビジネスモデルは完全に崩壊したが、取って代わる新しいビジネス・モデルはまだ見つかっておらず、これといった解決策もないまま新聞は今も休まずに発行されている。

日本で大学を出てからアメリカに渡った私は、大学院でジャーナリズムを学んだ後、写真記者として各地の新聞社で働いた。「ニュース&オブザーバー」を含めた計3紙、18年間に及ぶ写真記者生活は、私にこの国のいろいろなことを教えてくれた。民主主義を建国の基礎とするアメリカ。そのアメリカを支えてきたのが新聞だった。その新聞が今崩壊しようとしている。

「アメリカ草の根ジャーナリズムの終焉」。この連載では、私の体験したアメリカの新聞記者生活について振り返る中で、ジャーナリズムの現状と未来について考えてみたい。(つづく

[執筆者]岩部高明(いわぶ・たかあき)
1968年、横浜市生まれ。1991年、日本大学を卒業後に渡米。大学院でジャーナリズムを学びアメリカの新聞社に写真記者として勤務。Society of Newspaper Designより銀賞、ニューヨークAPよりベスト・オブ・ザ・ショウ、サウス・カロライナ州フォトグラファー・オブ・ザ・イヤーなど報道写真の受賞歴多数。 2013年6月に日本に帰国し、ジャーナリストとして活動中。