福島県から避難先に届いた健康調査用のファイル(新聞うずみ火)

福島県から避難先に届いた健康調査用のファイル(新聞うずみ火)

◆恐怖の甲状腺エコー検査

ピッピッ。モニターを見ながら、医師がプローブと呼ばれる検査器具を子どもの喉元に当てていく。その手が止まるたび、森松明希子さん(40)は、心臓が縮む思いをしたという。

「恐怖以外の何ものでもありません。素人の私でも、何かあったんだって、わかるじゃないですか」

昨年7月。大阪のある病院で、森松さんの6歳の長男と3歳の長女が初めて甲状腺エコー検査を受けたときのことだ。検査は福島県の「健康管理調査」の一環で、東京電力福島第一原発事故当時、福島県に居住していた18歳以下の子ども36万人を対象にしている。

甲状腺検査は2年に1回。森松さんの子どもたちには震災4か月後の2011年7月に検査の機会が回ってきた。しかしその時期、森松さんは福島県郡山市から大阪に母子避難したばかりで、受けることができなかった。

「全国には福島より医療機器の揃った病院があるはずですが、『郡山のどこどこで受けなさい』と時間と場所を指定され、それ以外は受けらないというのです。結局、大事な1回目の検査を飛ばしてしまいました」と森松さんは言う。

◆検査の結果、医師に尋ねても答えなし

その2年後、やっと避難先の大阪の病院で受けることができるようになった。福島県の指定する病院で、かたずを呑み、モニターと医師の一挙手一投足を追いかけた。

「何が見つかったんですか?どれくらいの大きさなんですか? 結節ですか? のう胞ですか? 母親としては聞きたいことばかりです。で も......先生に尋ねても、教えてもらえないんです。普通、病院ならインフォームドコンセントとかで説明義務があると思う。それが『福島県立医科大が 言った通りの検査をして、資料を全部医科大に送らなくてはならない。検査結果はそこか1かカ月後に送られてくるから、それを見てください』 と......」

1か月後、結果が送られてきた。判定は「A1」「A2」「B」「C」の4段階がありB、Cは2次検査が必要だ。森松さんの長男はA1=異常なし。長女は5ミリ以下の結節や20ミリ以下の、のう胞があるというA2だった。

「娘は結節が一つ見つかってしまいました。でも検査結果は、再検査の必要はない、2年後まで待ってくださいという紙一枚だけ。普通の感覚で言えば、 何か見つかったら、のんびり3年も待てないというのが母親の心情です。せめて3か月に一回とか経過観察するというのが、子どもたちの健康や未来を考えた医 療支援のあり方だと思うのです」

しかし、現状のシステムでは2年後を待つしかない。内部被曝の問題に詳しい医師に尋ねると、「結節はもっとちゃんと調べたほうがいい」とアドバイス されたという。昨年、異常なしだった息子も、子どもは放射線の感受性が高いのだから半年後はわからない。いまは、理解のある関西の医療機関で検査をしても らうことに決めている。(つづく)

【矢野宏、栗原佳子 新聞うずみ火】

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