◆避難生活で生まれた交流

神戸市長田区内の同和地区とは対照的に、別の地区での震災による被害は、建物に一部損壊が見られた程度で、死者はゼロだった。地区改良事業が完了したのが前年の3月だったからだ。

地区内の文化センターには震災当時、地元の同和地区の200人が避難した。地区外からも200人が駆け込んだ。センターは隣保館として、同和問題の 解決に向けた各種事業を行ってきたが、地区外からの参加は少なかった。だが、この震災で、これまで一度もセンターに足を踏み入れたことがなかった周辺住民 と地区住民が共同で避難所生活を送ったのだ。

当時の館長、中尾由紀雄さん(64)は「部落差別が起きるのではないかと不安だった」と振り返る。地区内にモダンな改良住宅が建設されたことで、地区外の人から妬みの声を耳にしていたからだ。

「地区住民がかわいそうな対象だと、同情心からかわいそうとなる。でも、住環境が自分たちよりも良くなると、『恵まれているのではないか』となるのです」

実際に共同生活が始まると、心配は杞憂に終わったという。

「炊き出しがあったときも『私らあとでええから、外から来た人にあげて』などと、地区の住民たちが職員以上に気を遣っていましたね。地区外の人たちも最初は違和感を持っていましたが、次第に警戒感がなくなっていきました」

共同生活が終わってからも交流は続いていると、中尾さんはいう。

「地区外の人のセンター利用率が増えました。それは20年たった今でもそう、利用者の8割は地区外の人たちです。同和問題とは、地区と地区外が切られていること。そういう意味で、触れ合うことで偏見の壁がなくなっていっていると思います」
(続く)
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