107人が亡くなり、562人もの負傷者を出したJR福知山線脱線事故から4 月25日で10年が経った。事故現場となった兵庫県尼崎市のマンションには朝早くから犠牲者を悼む人々が献花に訪れた。JR西日本の経営陣の責任が問われ ないまま事故が風化していく中、遺族らは11年目に向けての一歩を踏み出した。(矢野宏/新聞 うずみ火)

4月25日、事故から10年を迎えたJR福知山線脱線事故現場。遺族と報道陣が集まった(撮影・矢野宏)

4月25日、事故から10年を迎えたJR福知山線脱線事故現場。遺族と報道陣が集まった(撮影・矢野宏)

 

◆ 事故の風化懸念する遺族たち

事故が起きた午前9時18分の直前、快速電車が警笛を鳴らしながらゆっくりと現場を通過し、線路沿いに並んだ遺族や市民らが犠牲者に対して黙祷を捧げた。
あの日も青空が広がり、春たけなわの暖かな日だった。一人娘を亡くした大阪市城東区の藤崎光子さん(75)は、遺留品の中に黒いパラソルがいくつもあったことを思い出したという。

「折れ曲がったり、ひしゃげたりしたいくつものパラソルの中に娘のものもあるのかもしれないと、胸がふさがる思いで見たことを思い出しました」
女手一つで育ててきた娘だった。嫁いでからも印刷の仕事を手伝ってくれた。それだけに、「10年たった今でも実感がわかない」と振り返る。

快速電車が突っ込んだマンションの前に立つと、壁に残された痛ましい傷跡が目に飛び込んでくる。
JR西日本は事故現場の整備について、9階建てマンションの4階までを残して線路側を壁で遮る方針を遺族らに通知した。藤崎さんは事故を風化させようとしているのではないか、と思えてならないという。

「現状のまま残していただきたいです。事故の悲惨さを後世に訴える大きな力にしてほしいのです」

事故は、死亡した運転士が制限速度70キロのカーブに、時速116キロで進入して脱線、そのままマンションに激突した。運転士のブレーキ操作が遅れ た原因として、国土交通省の事故調査委員会は懲罰的な「日勤教育」があったことと、安全よりも営利を優先するJR西日本の企業体質を問題視した。だが、当 時の経営陣は誰一人として、自らの責任を認めようとはしない。

事故をめぐっては、検察審査会の議決によって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されたJR西日本の歴代の社長3人に対して、大阪高裁は3月、1審に続いて無罪を言い渡し、検察官役の指定弁護士が上告している。

◆ 日韓の事故被害者が追悼

この日の夕方、JR脱線事故と日航ジャンボ機墜落事故(1985年)、大邱(テグ)地下鉄火災事故(2003 年)と旅客船セウォル号沈没(2014年)など、日本と韓国で起きた大規模事故の遺族らが呼びかけた「日韓事故被害者 追悼の夕べ」が大阪市福島区の区民 センターであり、市民ら600人が参加した。

各事故の遺族がかけがえのない身内を亡くした悲しみを伝え、事故原因の究明が進んでいない実情などを報告した。セウォル号沈没事故で息子を亡くした チェ・スンファさんは「なぜ、子どもが死ななければならなかったのか。真実を知りたい。私たち遺族の思いは、場所や時間が違っても同じ。私たちの闘いに終 わりがあることを祈っている」と語った。
最後に、独立した調査機関の設置などを求める共同アピールが採択され、集会をしめくくった。