東京電力福島第一原発で事故が起きても、なお、原子力をやめようとしない日本政府。なぜ日本は事故の反省に立って他の道を模索することができないのか。この単純な疑問について、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに聞いた。(ラジオフォーラム)

元京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さん

元京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さん

◆原子力マフィアが福島から学んだ教訓とは
ラジオフォーラム(以下R):関西電力は、運転開始から40年を超える美浜原発1、2号機の廃炉を決めました。日本原子力発電は敦賀原発1号機を、九州電力は玄海原発1号機の廃炉を決めました。しかしその一方で、運転開始から40年前後の関西電力高浜原発1、2号機、あるいは美浜原発3号機などは、原子力規制委員会に安全対策審査が申請されています。つまりこれは、40年を超えても運転を続けていこう、原発稼働を復活させようという政府と電力会社の意向が働いているわけです。この現状を小出さんは今、どうご覧になっていますか?

小出:非常に端的に言えば、あまりにも愚かだなと思います。これまで「原子力マフィア」と私が呼ぶような人たちが、原子力発電所だけは絶対に事故は起こしませんと言い続けてきたわけですけれども、大変残念なことに福島第一原子力発電所の事故が事実として起きているわけです。何よりも事実というものが一番大切なわけですから、それを見たのであれば、これまでのように「原子力発電所は安全だ」と思うこと自体がもう話にならないくらい間違えていると私は思います。

R:それでも彼らは原子力を続けようとしています。

小出:彼らがどうしてもやりたいと言うのには当然、理由があるのです。金儲けをしたくて国も電力会社も原子力産業もみんな集まってやってきたわけで、これからも金儲けをしたがっているのです。そのために、例えば海外に原子力発電所を輸出するというようなことを今、言っています。
けれども、「自分の国ではもう原子力はやめた。それでもお前のとこで買え」というようなことは絶対言えないわけです。やはり海外に売ろうとするなら、「自分のとこでも原子力発電やっています」というようなことを言わなければいけない。そのために、再稼働させるということに突き進んでいるのだと思います。

R:再稼働だけでなく、政府は重要なベースロード電源だと位置づけ、これからもどんどん原発を利用する方針だということを示していますね。

小出:彼らにどうしてそれができるのかと言うと、彼らは福島第一原子力発電所の事故から学んだ教訓があるのです。その教訓とは、自分たちがどんなに酷い事故を起こして、人々をどんなに苦しめたところで、自分たちは処罰されないということです。そのことが、彼らが得た最大の教訓になっているわけです。どんなに古い原子力発電所を動かして事故になろうと、自分たちは絶対に責任を問われないし、処罰もされないということが、福島第一原子力発電所の事故で分かってしまったわけですから、彼らとしては原発をやめる理由はどこにもないということになったのだと思います。

◆倫理の問題として原発を見たドイツ
R:よく比較されるのがドイツの例ですね。ドイツでは、1990年に東西ドイツが統一された時、27基の原発があったそうです。それが徐々に減ってきて、政界も経済界も脱原発社会を目指そうということで合意をし、ひとつのビジョンを作ってやっていくことを決めました。今はまだ、各家庭の電気代が上がったり、いわゆる再生エネルギーがなかなかうまく作れなかったりという問題はありますけれども、ドイツ社会がどうエネルギーを作り、また使っていくかという大きなビジョンを持って、やっていっているというところです。そこはやっぱりすごいなあと思うのですが、小出さんはどのように思われますか。

小出:私もそう思います。

R:一方、日本は使用済み核燃料が17000トンほど溜まっています。その処理を放ったらかしにして、また再稼働に行こうとしている。ビジョンなしでこれだけのことがこれからも続けられようとしていることについて、どう考えたらいいのでしょう。

小出:日本という国は、ビジョンというものをきちんと考えたことが未だかつてなかったのではないですかね。今は安倍さん自身が経済最優先と言って、とにかく金儲けということ一点で突き進んでいるわけですね。ドイツがどうして脱原発ができたかというと、政府の中に、技術的な問題を考える委員会のほかに、倫理委員会というまた別の委員会を作って、そこで原子力をやることがどういう意味を持っているかということを考えたからです。

R:政府の中にそういう委員会を作ることができたのですね。

小出:そうです。今、使用済み燃料というものが日本でどんどん溜まってくるわけですけれども、その始末の仕方すら世界中どこも知らない。日本も知らないし、ドイツも知らないわけです。そういう時に、ドイツの政府の中にできた倫理委員会は、自分たちが始末もできないようなゴミを生み出す、そのこと自体が間違えているから原子力をやってはいけないという結論を下すわけです。それが結局、ドイツを脱原発に向かわせたわけです。
ドイツというのは、そうやって自分たちが生きているということがどういうことか、また、未来をどうやって作っていくかということを、技術的な問題としてだけでなく、きちんと人間の生き方の問題として考えるという国だったのです。良い国だと思います。

◆原発なき社会は差別のない社会

R:ドイツでは、国民の代表者らが政府の中に、技術以外の部分である、倫理や生き方などを考える場所を作ったということですよね。日本もそうあればいいと思うのですけれども、原発が危険だということだけではなかなか変わらないという仕組みが厳然と存在しているのも事実ですよね。

小出:そうですね。

R:今お話したような技術的な部分とは別の、社会や政府の仕組みなどについてですね、こういうところを変えれば、あるいは、こういうところをもう少しみんなで考えれば、原発を止めるためのプロセスや仕組みを作れるのではないか。そんなふうにお感じになることはありますか。

小出:はい。私は原子力の場で長年、生きてきた人間で、原子力というのは徹底的に危険で破滅的だと思います。それだけで、もう原子力は否定されるべきだと思いますけれども、私が原子力に反対してきた根本的な理由というのは、危険だからとか、そういう話ではないのです。原子力というのは、徹頭徹尾、差別的なのです。

R:例えば、どういうところですか。

小出:立地の問題からそうですし、労働の現場もそうです。あと、日本で原子力と呼んでいるものは、いわゆる核兵器と同じ技術であり、核兵器を持つ国と持たない国という、現在の差別的な世界構造をつくっていることや、世界の平和とも非常に根本的に関わっているわけで、そういうものを私は許せないと思ってきたわけです。
そういう意味で言えば、一般の方の中には、原子力の技術的なことにコミットをされている方はほとんどいないと思いますけれども、当然それで結構なのです。問題は、自分たちの身の周りにも酷く差別的な課題が多くあると思いますけれども、そういうことに一人一人が関わってくれたら、私が関わっている原子力の問題と通底して、手が結べると思います。

R:そうですね。身の回りの差別をなくしていく、あるいは公平な社会を作っていく過程で、脱原子力に向かっていく社会も見えてくるということなのですね。

小出:はい。同じことだと思っていますので、同時にやらなければ、どちらも達成できないと思います。


「小出裕章さんに聞く 原発問題」まとめ