高度経済成長の頃、原子工学は理系学生の花形だった。優秀な学生たちが原子力に夢を持って大学に進み、卒業後は原子力産業の成長に大いに貢献してきた。そして、彼らが揺るぎない地位を築いたとき、福島第一原発事故が起こった。自身も原子力に夢を抱いて大学に進学されたという、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに聞いた。(ラジオフォーラム

ラジオフォーラムの収録で語る小出裕章さん

ラジオフォーラムの収録で語る小出裕章さん

ラジオフォーラム(以下R):東京でお育ちになり、1968年に東北大学に進まれました。大学でなぜ原子力をやろうと思われたのでしょうか。
小出:私の子どもの頃は、鉄腕アトムという漫画が流行っていた時代でした。原子炉で動くロボットで、アトムの妹はウランちゃんだったし、兄貴はコバルトという名前でした。これからは原子力の時代なんだということが社会に蔓延していましたし、日本の国家の方も積極的に、「これからは原子力なんだ」、「化石燃料なくなっちゃうんだから、未来は原子力」というような宣伝をしきりに流していまして、中学・高校の頃に私はそれを聞かされて、てっきり信じてしまいました。
R:なるほど。それが嘘八百とわかったのは、どんな瞬間でしたか。
小出:いくつもありますけれども、私の場合には2つの契機がありました。1つは、1968年に私は大学に入ったのですが、その時は大学闘争というのが闘われていた時代でした。私自身は大変右翼チックで保守的な学生だったので、学生服を着て大学に通っていましたし、1時間も授業を欠席したことがないといような愚かな学生でした。

R:いや、それは愚かなのですか(笑)
小出:はい。今から思えば、あまりに愚かだったと思います。大学闘争で何をやっているかもわからないまま、ひたすら原子力をやりたいと思っていた学生だったのです。そういう時代の中で、私は原子力をやるために、東北大学という大学に行きました。宮城県の仙台という結構大きな町で私は勉強していたわけですが、東北電力という電力会社が原子力発電所を造るという計画を立ち上げたのです。

R:それが女川原発ですね。
小出:はい。そのこと自体、女川で原子力発電をやること自体は、私にとってはむしろありがたいことだと思ったわけですが、建てる場所が電気を使う仙台ではなくて、女川という本当に小さな田舎の町に建てるという計画だったのです。そして女川の人たちが、「なぜ電気を使う仙台ではなくて、自分たちの町に建てるのか」という疑問の声を上げたのです。

R:地元としては当然の疑問ですね。
小出:それを聞いてしまいましたので「なぜだろう」と考えました。彼らが上げた疑問に答えなければいけない、答える責任があると私は思ったのです。そのように私が思ったのは、大学闘争に巡り合っていたからでした。

R:それはどういう意味ですか。
小出:だんだん大学闘争というのが何を問題にしていたかということから、私自身も逃げることができなくなっていました。考えたところ、大学闘争で問われていたのは、自分がやっている学問が社会的にどういう意味を持っているか、そのことにきちんと答える責任があるということだったのです。そうなると、私は原子核工学というところにいたのですけれども、その学問が社会的にどういう意味を持つか、原子力発電をやるということがどういう意味を持つのかということを、私の責任として答えるしかないと私は思ったのです。

で、まあ答えを求めて、なぜなのかとずーっと悩み続けました。長い時間が経ちましたけれども、今から思えば答えは簡単で、原子力発電というのは都会では引き受けることができない危険を抱えているから過疎地に押しつけるのだという結論に、私はたどり着きました。そうなれば、そんなものは到底認めてはいけないと思うようになりまして、とにかく原子力発電を止めさせなければいけないということで、その時点で180度自分の人生を変えました。

R:なるほど。その中で多くの研究者、同級生の方々は原子力ムラと闘う道を選ばず、原子力ムラに入る道を選択された方が多かったのではないですか。
小出:東北大学もそうですけれども、基本的には大学という所は、エリートとして社会に出て行って出世をするのが人間の価値みたいに思われているような世界です。
みんなそうやって思っているわけですし、大学を出た時は少しでも良い企業に就職しようと、みんなが思っていたと思います。それでも大学闘争という時代でしたので、私の周りの学生の多くは、社会的なステータスを求めていく道からは外れて、それなりに自分たちの生き方を探すという、当時ドロップアウトなどと言っていましたけれども、そのような仲間は多くいました。

R:なるほど。たとえドロップアウトと言われようが、小出さんが選択された道というのはもう全く悔いがない。間違ってなかったということですか。
小出:わかりません。私は少なくとも自分の人生最大の間違いというのは、原子力などに夢を持ってしまったことだと思っています。けれども、その愚かな過ちを犯したのは私なわけですから、その落とし前をつけるのは私でなければならないと思ったわけです。自分の愚かな選択の落とし前をどうやってつけるかということを考え続けてきました。

そして、原子力の場に残ってとにかく原子力を潰すために仕事をしようと思ったわけです。その私の思いがどこまで本当に効果があったか、役に立ったかということは、自分ではわかりません。ただし、京都大学では41年間ひとつの職場で解雇もされることなく、やりたい放題やり続けてこられましたので、恵まれた人生だったと思います。

R:そんな中でですね、今日は改めて女川原発のことをお聞きしたいのですが、4年前に東日本大震災がありましたが、女川原発は、福島第一原発のような大事故は起こさなかった。そのせいか今も現地では原発の安全神話が生きています。この現状をいかがお感じでしょうか?
小出:まあ、全くばかげたことですね。東京電力の福島第一原子力発電所があのようになってしまったのは、発電所全体がブラックアウト、つまり全所停電に追い込まれたからなのです。それは、外部の送電線も鉄塔もひっくり返ってしまって、外部からの電源が来なくなったからなのです。一方、女川原発は首の皮一枚で助かった。なぜかと言うと、一系統だけ鉄塔が潰れないで外部から電気が届いたからなんです。

外部の鉄塔が倒れるかどうかなんていうことは、まさに誰も予測できない。地震の強さによって、たまたま壊れてしまうということも起こり得たわけですから、女川原発の場合、もちろん一系統だけ生き延びてくれて良かったと思いますけれど、言ってみれば偶然なのです。そのことを忘れるべきではないと思います。

「小出裕章さんに聞く 原発問題」まとめ