恵山駅構内に設置された掲示板で「労働新聞」を読む人々。北朝鮮では日本のような日刊新聞の配達システムは無い。また、紙資源不足により新聞の印刷もままならないため、手に取って読む人は、党や軍、行政の地方幹部などに限られている。(2012年11月 北朝鮮国内の協力者が撮影)

恵山駅構内に設置された掲示板で「労働新聞」を読む人々。北朝鮮では日本のような日刊新聞の配達システムは無い。また、紙資源不足により新聞の印刷もままならないため、手に取って読む人は、党や軍、行政の地方幹部などに限られている。(2012年11月 北朝鮮国内の協力者が撮影)

 

当時、私は26歳。建設労働や、人民保衛隊(食糧倉庫などを守る警備員)など5年の社会経験を経て大学に入学したとはいえ、朝鮮中の記者たちの間で最年少であるばかりか、唯一の独身男性でもあった。

同じ職場に配置されたキム・ビョングォンは、大学時代に同じクラスで学んだが、彼は年長の除隊軍人であったし、既に結婚していた。

こうして、以降8年におよぶ朝鮮での記者生活が始まった。報道部の同僚はわずか3人。部長のキム・ジェヨンと、記者であるソ・グァンホ、キム・ヒャンスクが全部だった。

記者になると、はじめの3ヶ月から6ヶ月ほどは、必ず報道部で文章技術を学んでから、個別の部署に配置される慣わしだった。

新人の私とキム・ビョングォンも同様で、基礎的な教育課程を経るためにまず、報道部に配属されたのだった。放送原稿や新聞に掲載される文章は、それまで私が書いてきた詩や散文とは異なり、一定の形式が要求される。作家は想像を重視するが、記者は現実に忠実でなければならない。

初めの月は主に、他の記者が書いた記事を読むことで過ごした。また、毎日午後2時から4時までラジオ放送も行うことになっていたため、標準語の発声練習も同時にこなさなければならなかった。次に半月ほど先輩記者について回り、取材方法を学ぶことになった。

私の記念すべき初取材は、両江道農業科学院の恵山市分院だった。取材は先輩のソ・グァンホ記者が行い、私は助手として付き従った。

私に取材方法のイロハを教えてくれたこのソ記者は、極めて無口な性格で、質問を繰り返すことで学ばなければいけない私のような立場の人間にとっては少しやりづらかった。(続く)

【以下注】
1 高等中学校は六年制で、日本の小学校6年生から高校2年生にあたる生徒が通う。なお、北朝鮮の義務教育制度は2012年9月の最高人民会議(国会)で、従来の幼稚園の年長1年、小学校4年、高等中学校6年の2年制から、幼稚園年長1年、小学校5年、初級中学校3年、高級中学校3年の12年制に改編された。新学制は2013年から実施されている。
2 各道の放送委員会は、道宣伝扇動部の出版報道課の指導を受ける。放送委員会傘下には、政治教養部、経済部、市民教養部、報道部、市郡指導部がある。また、「労働新聞」や各道の「日報(新聞)」は出版報道課で別途の管理を受けている。
3 正式名称は青年同盟指導員学部。文字通り、青年同盟(青年を構成員とする強い力を持った労働党の傘下組織)の指導員を養成する。同指導員は各学校に数人ずつ配置され、学生や学校運営に対し、教員よりも強い影響力を持つ。出世につながるため、この学部の人気は高く、除隊軍人も多く所属する。
※当記事は、『北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」第7号』に掲載されています。

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