かつての同僚たちのその後
朝鮮を離れて8年が経った。たくさんのことを忘れてしまった一方、書きたいことを書こうとするときりがない。そして今では、それをこなす余裕もない。
2010年、知人に頼んで朝鮮にいる親友たちの消息を尋ねてもらったことがある。報告を受けたその席で、私の脱北後、両江道放送委員会であった出来事を知ることができた。

放送委員会にはたくさんの変化があった。ユ・ヨンチョル記者は政治教養部長になり、キム・ヒャンスク記者は市郡指導部長になっていた。そして私が脱北した後、キム・ヨングク委員長が解任され、道衛生防疫所の細胞秘書に左遷された話には心が痛んだ。

委員長の後任には当時、政治教養部長であったハン・ヨンチョルが昇進したという。しかしそのハンもその後、機関・企業所ごとにウサギを飼えという金正日の指示に従わなかったかどで解任され、ヒラ記者に戻ったとのことだった。

卓越した文筆家として知られたチョ・ドンイル経済部長は、記者職を離れ、職業同盟機関紙の主筆になったという。そして、自身の貧しい生活にも関わらず、私をいつも助け、暖かく接してくれたパク・ヨンハク記者は離婚した。今も記者生活を続けているというが、入党は果たせていないという。

私の上司であった市民教養部長のソ・グァンホ記者は、2009年の貨幣交換(デノミ)で貯金を全て失い精神を病んでしまった。その後、道端に立っては当局者を批判して、どこかに連れていかれたとのことだった。(寄稿 ユン・ビョンヒ 整理/訳 リ・ジンス)(

10 毎週金曜日に、幹部を含むすべての国家公務員が、建設現場や協同農場に労力動員されることを指す。出張などの特別な理由がない限り、すべての幹部が参加しなければならない。
※当記事は、『北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」第7号』に掲載されています。

<国営メディアの記者生活>記事一覧

★新着記事