右に見えるアパートはブロックが積まれたままで外壁工事が未完なのに入居している。2008年6月平安南道にてペク・ヒャン撮影(アジアプレス)

右に見えるアパートはブロックが積まれたままで外壁工事が未完なのに入居している。2008年6月平安南道にてペク・ヒャン撮影(アジアプレス)

<北朝鮮 市場経済の拡大>記事一覧

4 不動産の市場取引

4-1 定着した国有住宅の闇取引

社会主義を標榜する北朝鮮では、土地や住宅などの不動産は共同所有が原則であり、党や政府機関、企業所が、住宅を勤労者に無償で提供することになっている。しかし、現実には住宅は売買の対象になっており、都市部でも農村でも、金を出さないと住まいを手に入れられなくなっている。

住宅事情の悪化にもかかわらず、国家が住宅を供給できなくなったために闇取引が始まったのだが、これは、食糧配給制が麻痺して闇市場が拡大したのと構図は同じである。

北朝鮮では土地は国家所有で、住宅も1958年の「社会主義樹立」以前に建てられたごく一部の例外を除いて(日本の植民地時代に建てられた家屋など)、すべて国家と、協同農場などの協同団体による社会的所有であり、売買・賃貸・抵当(家を借金の担保にとること)はいずれも禁止されている。※1958年、金日成は都市手工業と資本主義的商工業の社会主義的改造が完了したと宣言した。

朝鮮戦争後の1950年代後半にベビーブームが起こって以来、北朝鮮ではずっと深刻な住宅難が続いてきた。この「戦後世代」が結婚年齢に到逹した80年代、人口増に国家の住宅供給がまったく追いつかなくなった。特に都市部では、二世帯同居、一間をカーテンで仕切って二家族が使うということも珍しくなかった。

一軒に二世帯が入居することを「同居」という。珍しくない。写真は都市近郊にある「ハーモニカ」と呼ばれる長屋住宅の入口。2007年8月黄海北道沙里院にて リ・ジュン撮影(アジアプレス)

一軒に二世帯が入居することを「同居」という。珍しくない。写真は都市近郊にある「ハーモニカ」と呼ばれる長屋住宅の入口。2007年8月黄海北道沙里院にて リ・ジュン撮影(アジアプレス)

 

住宅問題が構造的に変化したのは1990年代の「苦難の行軍」が発端だった。生活苦に喘ぐ人たちが、最後の手段として住宅を売りに出し始めたのだ。また大量の餓死者の発生もあり、住宅の「大量供給」がにわかに発生した。これは生活に余裕のある人々にとっては、より広くて便利な場所に家を手に入れられる機会となった。現在では都市部と農村部を問わず、北朝鮮全域で実質的な「住宅取引市場」が機能している。だがそれはあくまで非公式なもので、法制度が変わって不動産の個人所有が認められたわけではなない。

国家住宅に入居するには、地域の行政府である人民委員会の都市経営局住宅配定課から、「入舎証」(国家住宅利用許可証)の発給を受けなければならない。この「入舎証」を売買する、つまり住宅使用権を取引するのである。住宅を買いたい者、売りたい者は、都市経営局の官吏たちに賄賂を払って使用者の名義を書き換えるのだ。

現在では、軍を除隊した将校や、新しい赴任地に移動することになった党、警察、保衛部(情報機関)の幹部たち、いわば権力機関の人間に対しても、国家は住宅割り当てをほとんどできなくなっており、住宅が必要な者は、「住宅取引市場」を通じて、金で国家住宅を「購入」するしかなくなっている。それを仲介するのは、不法に取引の仲介をして手数料を稼ぐ「コガンクン」と呼ばれる不動産業者だ。「ゴカンクン」は、間取りや設備、立地条件、価格といった住宅情報を積極的に収集し、商売を競い合いあうのだという。
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