その深刻さは、金日成自らが「農業司令官」になって食糧増産に立ち上がり、「飯を食べる者ならば、すべてを農作業に動員すべし」と、農村動員を義務化した「主体農法」政策を実施するほどであった。

一 般的に1年の4か月間は、全国のすべてが農村に集中動員された。住民の移転も、農村への一方向にだけ厳しく制限され、都市住民を系統的に農村に強制移住さ せた。生産者である農民ですらも、穀物だけは配給制に束縛された。購入経路のいかんを問わず、穀物二重受給(各自が国家供給規定量以上を得ることを意味す る)は、銃殺刑に該当した。

それほど厳重に制定され、管理されていたのたが配給制なのである。在日朝鮮人の訪問団が来ても、彼らが消費する食糧分は、特別に海外同胞迎接総局が食糧政策総局に依頼しなければならなかった。

人民軍兵士が闇市場の露天食堂で食事をしている。1999年9月咸鏡北道の茂山(ムサン)郡にてキム・ホン撮影(アジアプレス)

 

仮に、このような国家食糧政策が、変わらず健全に機能していたならば、たとえ予想外の災害によって食糧生産量の不足が生じても、農民市場に売りに出すほど、個人が米を隠匿備蓄することは到底不可能だ。また国家の独占取り扱い物資である穀物の自由販売現象を許すこともなかったであろう。

また、餓死者が発生し、また軍人が栄養失調で廃人になるようなことは絶対に起こらなかっただろう。国際支援による復旧効果も、どの国のケースより迅速で効率的に現れただろう。
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