平壌では服装のみすぼらしい人、大きな背嚢を背負っている人は地下鉄に乗せない。地下鉄運営管理局所属の兵士によって、女性が駅への入場を止められている。2011年6月 平壌市大城区域にて撮影ク・グァンホ(アジアプレス)

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◆主観と推理による印象論 

承前) 2012年の訪朝記、訪朝報告会で語られた言葉は、概ね、推理と個人的主観による印象論の域を出るものではなかった。例えば、1995年から数えて15回目の訪朝だという佐々木道博氏(日朝友好京都ネット理事)は、あくまで推計でしかないと断りつつも北朝鮮の一人当たりのGDP(国内総生産)に言及し、

「2007年以降も、GDPをさらに伸ばし、ここ5年ぐらいで、ついに3000ドルぐらいまで来たと私は見ている」(「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」小倉紀蔵編(角川書店)2012年)と書く。

 3000ドルといえば当時のエジプト並みである。佐々木氏の推理の根拠となっているのは、15回の平壌訪問で見てきた街並みや人々の服装の変化から来る印象、そして各国、各種機関、そして北朝鮮政府の統計のようである。また、ホテルや食堂で供される食事が、1990年代と比べると美味しくなり、量も増えたとして

「私が調べたところでは、米は大体行き渡っているという印象」とも述べている。

 浅野健一氏は朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報に寄稿した文章の中で

「メーデーの日などに出会った工場の勤労者・家族の表情は明るく、生き生きとしている。昨年12月金正日総書記の突然の死去という悲しみを乗り越え、若き指導者である金正恩第一委員長の下で団結を固め、主席の生誕100周年を祝った人々の自信があらわれている」と書いている。(2012年5月18日ウェブ版朝鮮新報)

一読して感じるのは、具体性に乏しい個人的主観による印象と推理以上の根拠はなさそうだということだ。平壌中心部の一角に高層アパートが林立するのを見て、経済建設が順調に進んでいるとまで言えるのか? 案内された工場の勤労者の表情を見た印象で語れることはどこまでなのか? 北朝鮮の現状を語る材料としては説得力を欠くと言わざるを得ない。言い換えると、具体的、客観的なことにあまり出会えないから、言葉が主観的になるしかないのだ。
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