捜索現場で見つかった汐凪さんのランドセルを見つめる紀夫さん。 (2016年12月18日 大熊町熊川地区にて撮影:尾崎孝史)

 

◆骨は見つかったが…「嬉しい気持ちにはなれない」

「結局、汐凪は原発事故の犠牲になって、見捨てられたような気がします。正直、骨が発見されて嬉しい、という気持ちにはなれません。僕が避難した時、汐凪は生きていたかもしれないという思いはどうしても消えないんですよ」

父の紀夫さんはこう話す。

捜索にあたっている作業員の一人は、発見された骨を目にする紀夫さんの表情を正視できなかったという。

「その時、木村さんのことを見ることができなかったです。僕にも汐凪ちゃんと同じくらいの歳の子どもがいるもので。やっぱり見つかったときはショックが大きいでしょうね」

ずっと捜索を手伝ってきた福興浜団の上野敬幸さんもそばにいた。

「木村さんは、歯に治療痕があることに気付いて、水で洗ったりしていました。生きて抱きしめる可能性がないのはわかっていたと思いますよ。でも、どうして汐凪ちゃんを5年9カ月も一人にしなければいけなかったのか。

俺も、『6年経って変わりましたか』ってよく聞かれるけど、いや俺は変わってないよ、変わったのは周りだよってすごく思うようになりました。俺だって、永吏可と倖太郎のことを考えると今でも死にたい気持ちになる」

紀夫さんに追い打ちをかけたのは、首の骨が包まれた汐凪さんのマフラーが発見されたことだった。

「マフラーって、人が身につけるものじゃないですか。それががれきの中から出てくるなんて。震災から2カ月後、自衛隊が捜索に入ったときに、じっくりと捜すことができていればね・・・・」
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