東京墨田区の横網町公園で行われた「関東大震災朝鮮人虐殺94周年東京同胞追悼会」。追悼碑に手を合わせる参列者(新聞うずみ火 2017年9月14日)

 

1923年9月1日に発生し、死者約10万5千人を数えた関東大震災。直後の混乱の中で流言が広がり、「自警団」や軍によって多数の朝鮮人が虐殺される悲劇が起きた。それから94年となる今年、「負の歴史」を直視しようと市民らが開いた追悼式をめぐり、小池百合子都知事が慣例の追悼メッセージの送付を拒否、波紋を広げている。背景に何があるのか。現地で取材した。(新聞うずみ火 矢野宏/栗原佳子)

◆自然災害と虐殺は違う

大震災から94年となる今年9月1日朝、東京・墨田区の都立横網町公園を訪ねた。両国国技館の近くにあり、慰霊堂や記念館などが整備されている。当時は陸軍被服廠の跡地で約4万人が避難。しかし火災旋風が襲い、約3万8千人が死亡した。1カ所の被害としては最悪とされる。

慰霊堂では午前10時から都慰霊協会主催の大法要がはじまっていた。東京大空襲の犠牲者もあわせて追悼しており、秋は9月、春は3月の年2回、法要が営まれている。堂内に読経が響く。プログラムには、小池知事の追悼文を代読する副知事の名があった。

小池知事は一方で、同じ横網町公園で開かれる「朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文の送付を取りやめていた。「この大法要で大震災のすべての犠牲者を追悼している」という理由だった。地元の墨田区長も知事に追従した。

震災直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こした」などの流言が広がり、虐殺に発展した。犠牲者数は正確にはわからないが、政府が2009年にまとめた中央防災会議の報告書は10万5千人の震災死のうち「1~数%」と推計。直後に調査した朝鮮人留学生の団体は「約6000人」としている。中国人、朝鮮人に間違われた日本人も殺されている。

朝鮮人犠牲者追悼式典は1974年から日朝協会東京都連などが開催。前年、幅広い市民の協力で建立された追悼碑の前で行われ、知事の追悼文も読み上げられてきた。流言の拡大や虐殺に対しては、行政にも大きな責任があった。追悼文は、在日コリアンはじめ多くの民族的背景を持つ人々がともに暮らす首都のトップが、「不幸な歴史を二度と繰り返さない」という誓いのメッセージのはずだった。

追悼式典実行委員長の宮川泰彦・日朝協会都連会長は知事の対応を厳しく批判した。

「すべての犠牲者に哀悼の意を示すというが到底容認できない。自然災害と、流言飛語による虐殺は違う。関係者や遺族に寄り添う姿勢もなく、虐殺の歴史から目を背けていると言わざるをえない」
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