◆「大学での勉強か、信仰か」

私はその学生たちを取材した。

ボアズィチ大学のゼヘラ・カルカン(19歳・当時)は、声の愛らしい2年生だった。信仰心の深い家庭で育ち、毎日5回のお祈りを欠かさなかった。部屋の勉強机には、クルアーンのほか、トルコ語のイスラム関連書籍が並んでいた。

イスラムとは人間の心と社会のありようを形作るもの、と父から教えられてきたという。

2001年10月、大学で校内でのスカーフ着用禁止通達が出て以降、ゼヘラは授業を受けられなくなってしまった。自宅で独習するほか、クルアーンのアラビア語とトルコ語を並べ、ノートに書き取ることを日課にしていた。(2001年・撮影:玉本英子)

 

大学ではトルコ文学を専攻。充実した学生生活を送っていたところに、スカーフ禁止通達が出された。

「私はイスラム教徒の義務であるスカーフを被っているだけ。それを無理やり脱がせるのは、政治や制度が心のなかに土足で入ってくるような気持ち」。

ゼヘラはそう話す。

禁止通達の方針が出た際は、同じスカーフを被っている女子学生とともに、学内外から3000名の署名を集めた。大学や教員に禁止措置の中止やスカーフ学生への配慮を要望したものの、対応してもらえず、落胆していた。

大学でスカーフ着用禁止通達が出される前、教室で同級生と一緒に写るゼヘラ。「信仰とどう向き合うかは個々の問題で、みんな尊重してくれた。スカーフ禁止措置は友達との関係にも影響を与えた」と話した。(2001年・提供:ゼヘラ)

 

同級生のサラ・チャシクルル(19歳・当時)も、悩み続けたという。

「大学での勉強をとるか、信仰をとるかの選択を迫られたよう。でも、そんな選択自体おかしい」。

同じ悩みを持つ4人の学生が、ある日、行動に出ることを決意した。スカーフを被ったまま、実力で校内に入ろうというのだ。

大学当局と揉めて騒ぎになったらどうするの、と私は心配した。だが、皆、家族にも伝えたし、応援してくれているから、と決意は固かった。

数日後、4人は大学近くのカフェに集まった。

「姉妹たち、私たちはあたりまえの権利を主張するだけよ」

そして互いに深く抱擁し合った。

私はカメラを携え、ボアズィチ大学に向かう彼女たちに同行することにした。【玉本英子】

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