軍事パレード参加のための外遊計画と、日本国内での水害。この構図からは、「防衛」「安全保障」とは誰の安全を守ることなのかということを考えさせられる。

日本の財政には限りがある。「防衛」についても、優先順位を考えて予算を分配しなければならない。必要度が高いものに予算を厚くし、低いものは抑える。では、「防衛」において最優先されるべきは何か。私は、日本列島に住んでいる「人々」の具体的な意味での生命と安全だと考える。その原則に立ったとき、いま最も現実的で大きな脅威は大規模な自然災害だ。

1995年の阪神淡路大震災以降の20数年間だけでも、地震や津波、水害などでどれほどの人々が亡くなっただろうか。一度に数百、数千という単位で人が亡くなる事態は、日本では自然災害でしか起きていない。南海トラフ地震や東海地震が30年以内に発生する確率は7080パーセント。温暖化の影響で豪雨などの異常気象が増えているという警告もある。

火山噴火も心配だ。つまり、日本に住む人々の生命が直面している危機として、大規模自然災害ほど深刻で、確実で、緊急性を帯びたものは他にない。

そして、毎回問題になる劣悪な避難生活の改善を含め、災害対応はまだまだ不十分である。ではその費用をどこから持ってくるか。

私はやはり、人々の生命を守ることにつながらない自衛隊の海外派遣(災害派遣は除く)や、軍事緊張をあおる副作用をもつ点で費用対効果に疑問符がつく過剰なミサイル防衛システム導入のための予算を削るのがよいと思う。自衛隊の「従たる任務」についても、海外派遣ではなく災害出動を最優先課題として、装備、訓練、編成を考えるべきだ。もちろん、災害からの「防衛」は自衛隊だけの任務ではない。消防庁をはじめとする関係各部門への費用配分が必要だ。

日本に住む人々の生命を「防衛」するために最も必要なことは何か。冷静に考えれば、災害対応こそ最優先課題ということになる。「災害救助のために自衛隊に入った」という若者たちも、これには同意してくれるに違いない。

加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。

【書籍】 九月、東京の路上で ~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響
https://www.asiapress.org/apn/2010/10/attention/_1923/

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