豆満江を挟んで左側が中国、右側は北朝鮮の茂山郡。山には見事に木がない。2004年6月に中国側から石丸次郎撮影

◆北朝鮮から脱出する困難

国境の川、豆満江、鴨緑江はあわせて1400キロに及ぶ大河であるが、中流より上はさほど川幅は広くない。とくに、越境ルートの大部分を占める豆満江は、中流の図們あたりで560メートルほど。上流部の脱出ポイントになっている茂山(ムサン)あたりでは340メートルほどだ。

膨大な数の北朝鮮人が中国に越境してくる川なのに、意外に川幅が狭いこと、また、中国で逮捕・送還された人が、二度、三度と脱出してくることなどから、

「北朝鮮脱出は、案外簡単なのではないか?」

と受け取る向きがあるが、実際に北朝鮮難民から聞く脱出行は、まさに一人一人にとって命を懸けたドラマである。

よく知られているように、北朝鮮には移動、居住地選択の自由がない。朝鮮民主主義人民共和国憲法の第75条には「公民は、居住、旅行の自由を有する」とあるが、現実には住民たちは、自分が居住している道(日本の都道府県にあたる)から外に移動・旅行をしようとすると、必ず「通行証(出張及び旅行証明書)」の発給を受けなければならない。

これは地域の人民保安部(旧安全部=警察、2018年時点で地域の警察署は「保安署」である)と人民委員会(地方政府)に出向いて受ける。職場における出張のほか、家族や親族の不幸などの「正当な」理由がないと発給を受けるのは難しかったが、食糧危機が深まり、食糧入手のために他地方へ往き来しないと生きていけなくなると、賄賂によって通行証の発給はかなり融通がきくようになったという。

「食糧入手のために黄海道に行きたいと申告すると、出張証明を出してくれました。企業所の幹部たちも、皆が食うや食わずというのを知っていますからね。それを持って安全部に行き通行証をもらいます。ただし、心づけに闇市場で買った中国製のタバコや酒を渡さなければなりません。帰ってきたら職場に報告して、また何かを差し出します」(平安南道出身、30代の男性)
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