吉林省の農村に「嫁いだ」29歳の難民女性と夫の朝鮮族青年。2001年1月に撮影石丸次郎

◆難民花嫁のケース

97年春に中国に脱出した具守美 (グスミ) さん(仮名、脱出当時19歳)のケースを挙げておこう。北朝鮮の若い女性が中国に逃げる典型的な例である。

咸鏡北道出身の守美さんは、両親と妹の四人暮らしだったが、飢えに耐えることができず、心配する母親を説得して、一家を「代表して」中国に行くことを決めた。

中国農村に嫁ぐ北朝鮮の娘が大勢いるという噂を聞きつけ、そこに希望を見出したのだ。まず、守美さんが単身渡河して農村に嫁ぎ、潜伏場所を確保してから家族を呼び寄せる、という計画だった。

国境の村のある農家までは母親と一緒に行った。その家の主人は中国に女性を送り出すブローカーで、母親に金を渡すと川向かいの中国側の村まで同行した。母親に渡された千元が「娘の代金」である。

「豆満江を渡って入った農家で、『いい人がいるが嫁に行く気はないか』と聞かれました。『経済力のある家なら行ってもいい』と答えると、村の仲介人を呼んできました。『見合いだ』ということになって、黒龍江省の農村に行きました。出てきたのは30半ばのぱっとしない風体の男でしたが、おとなしくて乱暴しそうには見えなかったので結婚を了承しました。もっとも断れる身の上でもなかったのですが……。

すぐに妊娠しました。生活も安定したので、別の『見合い屋(ブローカー)』を通じて北朝鮮の両親に連絡をつけました。結局、嫁いで1年後に両親と妹がやってきましたが、難民取り締まりが厳しくなって、同居することができず、両親と妹は韓国の難民支援団体に保護されて吉林省に暮らしています。今は子供の将来が心配です。無国籍のままですから。私もいつ捕まるか不安な毎日です」
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