◆撃沈し漂流6時間

海軍では持ち場を離れることは許されない。総員退去命令が出て、350人の乗組員が次々に甲板から海へ飛び込んでいく。阪口さんは甲板にあった5本の丸太を結ぶ麻縄をナイフで切り、海へ放り込んだ。浜風は大きく傾いていた。

「傾く方向の海に飛び込むと、沈む船がつくる大きな渦に巻き込まれると教えられていたので、反対側に走って海中に飛び込みました。懸命に泳ぎながら後ろを振り向くと、浜風が船先だけを出し静かに沈んでいくのが見えました」

丸太にたどりつくと、他の兵士4人もつかまっていた。

「海はすごく冷たいので、体力を奪われていくのです。睡魔に襲われ、力尽きた2人が流されて波間に姿を消しました。残った3人は『死んでたまるか』『絶対に生きるんだ』と励まし合って救助を待っていたのです」

荒れた海には、数十人の戦友たちが浮遊物につかまりながら漂流していた。運を天に任せるしかなかった。

大和はおびただしい数の米軍機の攻撃にさらされていた。大和も機銃などで応戦している。

「息をのむような激しい銃撃戦が2時間あまり続いたとき、大和から大きな火柱が立ち上がり、大爆発が起こったのです。火柱と一緒に空高く上がった煙が収まったときに大和の姿はなかった。世界に誇る不沈艦が沈んだのです。悪夢でした」

乗組員3332人のうち、生還者は276人。3000人を超える兵士が大和とともに運命を共にした。

阪口さんは、冷たい海の中を6時間あまり漂流した。夕方になって、損傷が少なかった駆逐艦「初霜」に救助され、佐世保に帰還した。(続きを読む>>


【阪口善次郎(さかぐち・ぜんじろう)さん 大阪府吹田市原爆被害者の会会長。「ヒバクシャ国際署名推進・大阪の会」代表世話人。吹田市議と府議(社会党)を計6期つとめたほか、日本原水爆被害者団体協議会の代表理事を1985~2000年度と05~07年度につとめる。長男の善雄氏は元吹田市長】