◆「日本はアジアを励ます国となれ」

宣言は、次のように始まる。

「われらは、ここにわが朝鮮の独立と、朝鮮人民の自由民たることを宣言する。これをもって世界万邦につげ、人類平等の大義を明らかにし、且(か)つこれを子孫におしえ、民族独立を天賦の権利として永遠に保持させるものである」

彼らは朝鮮独立の意義を、自由と、人類平等の大義という普遍的な次元で説いた。他にも、「人間性と時代の良心」「世界改造の一大機運」といった言葉が散見される。当時の世界的な理想主義的思潮への共感と漢文の素養に裏打ちされた、格調高い文章となっている。

日本人への呼びかけは、宣言の中盤に置かれている。韓国併合は「民族的要求に由来しなかった」として、両国の間で「真正なる理解と同情にもとづく、友好の新局面」を開こうと呼びかけるのである。呼びかけは、さらにこう続く。

「今日吾人の朝鮮独立は、朝鮮人をして正当なる生活の繁栄の追求をなさしむると同時に、日本をして、その邪道から脱出せしめ、東洋の支持者たる重責を全うせしめ、中国が夢寐(むび)にもわすれえない不安、恐怖からこれを脱出せしめ、東洋平和の、またその重要なる一部をなす世界の平和、人類の幸福に必要なる段階たらしめんとするものである」

少し説明が必要だろう。三一運動が起こる8年前の1911年に、中国では辛亥革命が起こり、中華民国が成立した。しかし日本はその新しい国造りを支援するどころか、1915年には対華21カ条要求をつきつけ、中国の「保護国」化を迫るに至った。当時の日本は、東アジアで唯一の帝国主義国だったのだ。“中国が夢にも忘れない不安”とは、これを指している。

つまりこの一節は、日本人にこう呼びかけているのである。

私たちは、朝鮮の独立を自分たちのためだけに求めているんじゃない。それは日本に、アジアの人々を脅かすのではなく励ます国へと生まれ変わってもらうためでもあるんだ。それこそが東アジアの平和はもちろん、世界平和と人類の幸福にとって必要なことなんだ――。

だがこの熱い呼びかけが、日本に届くことはなかった。政府がこの独立宣言の報道を厳しく統制したからだ。仮にそうでなかったとしても、日本のメディアがこれを、真面目に、心をもって受け止める報道をすることはなかったかもしれない。

◆植民地支配の否定は「反日」か

1919年は、第一次世界大戦後の「民族自決」気運が世界中で高まり、エジプトやインド、中国でも植民地支配からの解放を求める声が上がった年だ。ガンジーが独立運動指導者として登場するのはこの年の4月。このとき世界中で一斉に上がった叫びが、第二次世界大戦後にはほとんどの植民地の独立に結実する。今では、異民族の強圧的な支配を正当化することは誰にもできなくなった。三一独立宣言に込められた理想主義は、確かにこうした未来を見つめていたのだ。

そして100年後の今、周知のように日韓関係は最悪と言っていい状況である。次元の異なる様々なあつれきが、事態を悪循環へと導いている。日韓両国は、こうしたなかで三一独立運動100年を迎えることになった。

それでも、3月1日に合わせて外務省が韓国への「渡航注意」を発し、自民党の「外交部会」では、“単なる渡航注意では足りない。危険度を紛争地域レベルに上げるべきだ”との意見まで飛び出したといったニュースには、さすがに首をかしげざるを得なかった。記念式典やデモが暴徒化するとでも考えているのだろうか。

フランスでは「黄色いベスト運動」の一部が毎週のように暴徒化し、シャンゼリゼのカフェなどを破壊しているが、それでも同国については単なる渡航注意にとどまっている。確かに韓国もデモが盛んな国だが、デモ隊がカフェを襲ったり通行人を襲ったりしたという話は聞いたことがない。それに、今の韓国では日本人一般を敵視するような雰囲気は皆無である。日本でよく見るヘイトデモのように「日本人をぶち殺すぞー」と叫ぶデモもない。案の定、3月1日に日本人が襲われるような事件は結局、一件も起きなかった。当たり前である。

韓国人が三一独立運動100年を記念するのは、それによって独立国としての原点を確認するためだ。それを無前提に「反日」と見ておびえたり、怒ったりする人々は、韓国人がかつての日本の支配をよく思っていないことそれ自体を、「反日」だと感じているのではないか。しかし、いまだに植民地支配はいいものだったと考えているようでは、日本が韓国と良好な関係を結ぶことは不可能である。日本人だって、異民族に支配されて自己決定権を奪われればうれしくはないはずだ。植民地支配はいいものだという考えは、もはや世界に通用しない。