ロシア軍はウクライナ各地への攻撃を続ける。「マリウポリを救え」のプラカードを持つ人の姿も。(3月中旬ウクライナ西部リビウ・綿井健陽撮影)

 

無名の著者による、しかし重要な文章が、誰も読まないような媒体に掲載されているということが、たまにある。今回、私が紹介したい文章もそんな場で発表されたものだ。

「第4インターナショナル」と言っても、ピンとくる読者はほとんどいないだろう。ロシア革命後に、レーニンの盟友でありながら政争に敗れてソ連を追放されたトロツキーという人がつくった小さな国際組織だ。抑圧的なソ連の体制とは異なる社会主義を目指すことを掲げている。だが、そのソ連も崩壊して30年も経つ今では、世界に対する影響力はほとんどない。

この「第4インターナショナル」の日本語版サイトに掲載されたのが、今回、紹介する「西側左翼へのキエフからの手紙」というタイトルの文章である。

「西側」と訳されているが、「西欧」という意味だろう。著者はタラス・ビロウスという人物。ウクライナのキエフに暮らす歴史家にして活動家だという。それ以外のことは何も分からない。年齢も分からない。

「私は今、砲撃下にあるキエフでこの文書を書いている」と始まるこの「手紙」は、ビロウスが「領土防衛部隊」の任務に就く前に書き終えたものだ。

タイトルにあるように、その宛て名は「西欧の左翼」である。だが、私はこれを、ウクライナの理想主義的な知識人が世界の人々に向けて書いたものとして受け取った。

ビロウスは左翼で、平和主義者だ。民族主義者ではない。侵攻前は、ウクライナ東部のロシア系住民を攻撃する極右勢力に反対する運動に参加していた。「民族にとってのではなく、人類にとってのより良き未来のために」行動したい――というのが彼の願いだった。

彼の父は、反ロシアでなおかつ反米という「極右的信条」の持ち主だという。一方、親ロシア勢力が支配する地域に暮らす祖父母は、プーチンを「秩序を回復した」救世主だと思っている。家族の思いはバラバラだが、彼はそれをつなぎとめようと努力してきた。

「私の祖父母は、彼らの全人生を集団農場で働いて過ごしたのだ。私の父は建設労働者だった。彼らにとって人生は優しいものではなかった」。そこには、スターリン時代の圧政にさかのぼるウクライナ人の複雑な歩みが刻まれている。彼の運動は、引き裂かれたウクライナの地域間の平和的な対話を呼びかけるものだった。

◆大国の軍事対立の犠牲となったウクライナ

そのビロウスが、ロシアの侵攻という事態を迎えて西欧の左翼に伝えておきたいことが二つあった。

一つは、西欧の左翼の中の一部の人びとが、ウクライナの窮状を理解していなかったという批判である。

この間、新聞などでも報じられているとおり、プーチンが侵攻を決断した背景には、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大があった。NATOは、冷戦時代にソ連と対峙するためにつくられた軍事同盟だが、冷戦後も維持され、さらには地理的にロシアに近い国々までが加盟して、拡大してきた。それがロシアを追い詰めたことというが、しばしば指摘される。西欧の左翼も、そうした視点からNATOを批判してきた。

ビロウスもまた、NATOの拡大を批判する。それがもはや、「防衛的な機能を失い、攻撃的な諸政策を導いている」からだ。だがビロウスと西欧の左翼とは、同じようにNATO拡大を批判していても、立っている場所が違った。

彼はこう訴える。

「彼ら(西欧の左翼)は、ウクライナの安全保障上の懸念をどれだけ頻繁に思い出しただろうか」「(その議論に)NATO拡張によりもたらされた変化の主な犠牲者はウクライナだ、ということは表れただろうか」

あなた方のNATO批判は、米欧vsロシアという二項対立で行われており、その狭間に置かれたウクライナの窮状は視野の外だった。その結果、NATOを批判してロシアを擁護するという「陣営主義」に陥り、ロシアの侵略性を見ることができなかったのではないか――と彼は言っているのだ。

アメリカの思惑はともかく、東欧諸国がNATOへの加盟を望んだのはロシアの脅威を感じていたからだ。だが、その拡大がロシアの危機感を高め、かえって地域を不安定にさせた。東欧の国々が求めていたのが「安心」だとすれば、必要なのは軍事同盟とは異なる平和的な地域秩序の形成だった。西欧の左翼によるNATO批判は、そうした方向を目指してこそ行われるべきだったのではないか。彼の「西欧の左翼」批判の先には、恐らくはそんな思いがある。

◆イラク戦争を思い出してほしい

ビロウスが伝えたかったもう一つは、「国連の民主化」について考えてほしいという呼びかけだ。

砲撃下のキエフにありながら、彼が求めているのは「西側の結束」や核シェアリングではなく、もちろんロシア人への憎しみでもなく、「国連の民主化」だった。

「ふたつの帝国主義間の新しい均衡を探す代わりに、国際的な安全保障秩序の民主化のために闘わなければならない」と彼は言う。私のことばで言い換えれば、「大国が小国を侵略することがない平和的秩序をつくろう」ということだ。

その文脈で、彼はイラク戦争についても言及している。

ウクライナ侵攻が始まった当初、私は「21世紀にこんな侵略戦争を見るなんて」という声を多く聞いた。だが、21世紀が超大国アメリカのアフガニスタン侵攻とイラク戦争で幕を開けたことを、思い出してほしい。

2003年、アメリカは「イラクが大量破壊兵器を開発・保持している」と主張し、それに対する自衛権の行使だと言ってイラクに侵攻した。これに対して国際社会からは「国連憲章違反だ」という非難の声が上がり、世界中に反戦デモが広がった。結局、「大量破壊兵器」は存在しなかった。どう見ても正義のない侵略戦争だ。だが日本は戦争を支持し、積極的に加担した。

2022年2月24日以降、私たちは、戦火に追われるウクライナの人びとの姿を見つめ、胸を痛めている。ミサイルが直撃したマンションから消防隊に助け出されるおばあさん。幼いわが子を助けられなかったと泣く母親。だがこれとまったく同じ光景が、十数年前のイラク各地でも繰り広げられていた。あの戦争で命を奪われたイラク人は、10万人を超えると推計されている。

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