卸売市場の側の露天で魚や果物が売られていた。鴨緑江上流の恵山市の中心部

 脱北者と在日4世の朝中国境1000キロの旅(1) 私のルーツの地、北朝鮮の一番近くへ

北朝鮮の同胞は今、どんな暮らしをしているのか? 知り合いの姿は見えないか…そんな思いを胸に、記者・全成俊(チョン・ソンジュン)は脱北して10年ぶりに朝中国境に向かった。鴨緑江上流で故郷が見える地に立ち、碧い水を湛えた川を眺めながら、全成俊の胸に去来したものは何だったか。

鴨緑江上流の川幅はわずか数十メートル。川辺には垣根と二重の有刺鉄線が張り巡らされている。恵山市渭淵洞

◆再び国境に立つ

昨年10月、私は鴨緑江上流の中国吉林省長白朝鮮族自治県に立った。

対岸は北朝鮮の両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)市だ。ちょうど10年前、自由への憧れに胸を焦がしていた25歳の私は、恵山の山の尾根に立ち、光り輝く中国側を眺めていた。その夜、私は、ウサギのように充血した目で不安げにきょろきょろする6人と一緒に、闇に紛れて川を渡った。

白頭山麓の晩秋の鴨緑江は骨に沁みるほど冷たいはずだが、私はそれを感じなかった。濡れて固まった服を絞りながら、誰かが小声で尋ねた。

「寒いのか?」
「いえ」
「震えてるよ」
私が震えていたとしたら、それは寒さよりも、背後の哨所にいる銃を持つ北朝鮮の国境警備隊のせいだろう。私は北朝鮮側の空に向かって、母に伝えた言葉をもう一度口にした。
「必ず、生きて戻って来ます」

それから10年。北朝鮮側からドキドキするような希望を抱いて眺めていた長白の地に立って、重苦しい気持ちで北朝鮮を見つめる。私は生きているが、帰ることはできない。

隣組組織の人民班の警備詰め所の前で座り込んで話す女性たち。「人民班事業を強化しよう!」のスローガンが見える。恵山市渭淵洞

◆封じ込められた人々 

いつかは、と思いながら赴くのを先延ばしにしていた朝中国境。出発前からわくわくしつつも緊張する。中国は脱北者を逮捕・送還する国であり、国境地帯は北朝鮮の保衛部(秘密警察)要員が、自分の庭のようにうろうろしている場所だからだ。

新義州(シニジュ)が見える鴨緑江の下流、丹東に到着した時、私は、自分の心が淡々としているのに少し驚いた。北朝鮮を見物しようと中国各地から集まった大勢の観光客や、7月末の水害の後、突貫工事の最中であった水害被災者向けアパートを見ても、大して私の心は動かなかった。

むしろ、目に入る北朝鮮のすべての光景によって、心にわだかまりが募っていくように感じた。 自分の心が壊れてしまったのか疑った。唯一つ、心を動かしたのは鴨緑江だった。鴨の頭の青い光のようだという鴨緑江。その水は、名前に似つかわしくない黄色い泥水だった。

義州(ウィジュ)、満浦(マンポ)、慈城(チャソン)などの街を眺めながら鴨緑江を遡った。昨夏の豪雨被害の傷が残っているが、もっとも早く復旧したのは国境を遮る鉄条網だ。北朝鮮の人々は今や、鉄条網と監視カメラによって、封じ込められてしまった。

10年前までは、一年に1000人以上の脱北者が韓国に入国していたが、最近はその数は数十から2百人程度である。またその大半は、かなり以前に脱北して第3国に滞在していた人たちで、2020年1月に始まったコロナ・パンデミック後に北朝鮮を脱出した人はごくわずか。今や、脱北はほとんど不可能になった。

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