
◆10年ぶりに見る故郷の人と街
上流に進むほど鴨緑江の水は澄んで青くなり、ちょうど見頃を迎えた紅葉は燃えるように赤く染まっていた。恵山が近づくにつれ、どれだけここに来たかったかを、あらためて実感した。
恵山は、脱北の準備のために4年間暮らした都市だ。向かいから漂ってくる薪を燃やす匂いと生活の雑音が、眠っていた私の記憶を揺さぶった。
鴨緑江はかなり流れを変えてしまっていて、友達と川で泳いだ後に上って体を乾かし平たい岩を見つけることができなかった。好きだった人とよく行った古い映画館はそのままだったが、彼女が住んでいた家は、10年の間に建てられた高層アパートに隠れて見えなかった。
川向こうを行き交う人々の中に見知った顔が見つかるかと思い、超望遠カメラをしきりに覗いた。パンデミック以降、金正恩政権が個人商売を厳しく取り締まって市場は萎縮したが、私が慣れ親しんだ通りの路地裏は10年前より賑わっているようにも見えた。

◆罪悪感と羞恥
恵山の人や風景を眺めながら、私はふと、心に作用している大きな力を意識した。それは「恥」だった。 国境地帯に来てからの悶々とした気持ち。それは恐怖だろうと思っていた。実際に怖かった。中国公安の尾行や監視カメラを避けながら写真を撮るたびに、背筋に冷汗が流れた。
だが、愛する人たちを置いて一人で去った罪悪感と、北朝鮮に暮らす同胞のためにほとんど何もできていない無力感から生じた「恥」は、恐怖よりずっと大きく心をわだかまらせた。10年間享受してきた「豊かさ」と「自由」が、「恥」の感情を包み込んでしまっていたのだ。

人通りが一番多いという恵山市の中心部の卸売市場の側の通り。食堂の看板も見える
私が国境地帯に簡単に来られなかったのも、今回の取材の間ずっと悶々としていたのも、心の中に隠れていたこの「恥」の感情のせいだったのだ。この10年間、少しずつ乾いていった私の心の中隠れていたこの感情が、頭をもたげたのである。
青々とした悲しみの気持ちが芽生えた。それは、心に露のように絡みついて川面にぽろりと落ちた。鴨緑江は、悲しい色をしていた。(ちょん そんじゅん アジアプレス)
※写真はすべて2024年10月に洪麻里と全成俊が中国側から撮影した。
※「週刊金曜日2025年」4月4日号に掲載さたれ記事に加筆修正しました。
