
◆北朝鮮から聞こえた笑い声
遡上し、水豊ダムへ。日本の植民地時代末期に建設され、当時東洋最大といわれた水力発電所だ。対岸の平安北道(ピョンアンブクト)朔州(サクチュ)郡に、できるだけ近づくために小型船をチャーターした。
水しぶきをあげて進むボートの上で必死にカメラを回しながら、「檻のようだな」と思った。北朝鮮側には背丈よりもはるかに高い鉄条網が張り巡らされている。5年程前までは住民が川辺で洗濯や水浴びをしていた。しかし2020年にパンデミックが発生すると、金正恩政権は住民がこの国境河川に接近することを禁じ、今では水に触れることすらできなくなった。
鉄条網の内側に自転車に乗る女性2人が目に入った。カメラをズームする。瞬間、はじけた笑い声が耳に飛び込んできた。「人が暮らしている国」という、あまりにも当然のことを実感した瞬間だった。

◆木材を焚く匂いも
右手に鴨緑江を眺めながらひたすら山道を進み、吉林省長白朝鮮族自治県に到着する。対岸は両江道(リャンガンド)の道庁所在地・恵山(ヘサン)市だ。朝中国境で外国人が行くことができる場所の中で、どこよりも川幅が狭く、その距離はわずか数十メートル。長白県にはいる直前、北朝鮮軍が軍事境界線の北側で、韓国と繋がる道路を爆破したというニュースが飛び込んできた。情勢緊張のためか、外国人である私たちは、中国の公安にずっと後を付けられた。
監視の目を避けながら恵山の街中をカメラで覗くと、路地で魚や果物を売り買いしている女性たちの手元の紙幣まで鮮明に見えた。住宅街の中の空き地では、手遊びをする女の子たちがおかしくてたまらないという風に身をよじらせて笑っていた。
夕食を終えて川沿いを散歩すると、木材を焚く匂いが漂ってくる。夜はすっかり冷え込む。暖房用だろうか。中国側の遊歩道や建物は派手にライトアップされているが、対岸には明かりひとつない。恵山にはアジアプレスの取材パートナーたちが暮らしている。彼らによると今、電気は1日に3時間程しかこないという。
◆もっと近づきたい、話してみたい
今、北朝鮮の人々の暮らしは極めて厳しい。当局により個人の商行為が規制され、現金収入を失って飢える人もいる。真冬は零下25度にまで下がる寒さの中、明日の食べ物を心配しないといけない生活はどれほど辛いだろうか。もっと近くに行って、直接話をしてみたい。国境でルーツの地を垣間見て、そんな思いが募った。(ほん まり)
※全成俊の回に続きます。
脱北者と在日4世の朝中国境1000キロの旅(2) 鴨緑江は碧かった…脱北10年、故郷の地を見に行く
※写真はすべて2024年10月に洪麻里と全成俊が中国側から撮影した。
※「週刊金曜日」2025年4月4日号に掲載さたれ記事に加筆修正しました。
