砲兵隊の塹壕で紅茶をいれるミハイロ上級曹長(2024年4 月・撮影:玉本英子)

◆第56独立自動車化歩兵旅団・砲兵部隊(ドネツク州チャシウ・ヤル近郊)後編

チャシウ・ヤル近郊の砲兵部隊(前編)からの続き。武器不足で戦況悪化に直面し、絶えぬ犠牲のなかで兵士たちは疲弊していた。取材は2024年4月末。(取材・写真:玉本英子・アジアプレス) 

<ウクライナ東部>兵士の肖像 (1) 前線の衛生兵 「精神力は極真空手で鍛えました」(写真14枚)

やむことのない砲撃音。ロシア軍のドローンに見つからないよう、身をかがめて木の陰を伝い、狭い塹壕の中に入った。ミハイロ上級曹長(42歳)は、戦闘で絶えぬ犠牲者への思いを語る。

各地の学校の子どもたちが、兵士を激励するメッセージカードや慰問品を寄せてくれる。国旗色のリボンは、「お守り」にしている。(2024年4 月・撮影:玉本英子)

◆「侵攻前はアイス会社で働いていました」

玉本:侵攻前は何をしていましたか?

ミハイロ曹長:

「ここにいる仲間のみんなが、侵攻前は普通の市民生活を送っていました。私の場合は、アイスクリーム会社の物流センターで働いていました。各地の子どもたちにアイスを配送する仕事だったんですよ。侵攻後、動員で兵士になりました。若いころに兵役があったので、銃の扱い自体は経験していました。でも、こんな厳しい戦いになるなんて。この戦争は高度なのに、戦いのプロが少なく、普通の市民だった人間が過酷な戦闘に向き合っている現実があります」

これまでに、戦闘でたくさんの仲間を失ったという。戦死した兵士のひとりひとりに、家族や愛する人がいた。ミハイロ曹長は、その重みを語る。(2024年4 月・撮影:玉本英子)

玉本:ご家族は、あなたが前線で戦っていることをどう感じていますか?

ミハイロ曹長:

「3歳の娘と9歳の息子がいます。これまで平和に暮らし、子どもを育て、仕事をして日々を営んでいました。それが戦争ですべてが変わりました。父親、あるいは夫を失うのを望む家族はいません。戦争がこの先も続くこと、戦争ですべてを解決させることを望む人など私の周りにはいません。妻は憔悴しています。あなたのカメラの前で、なかなか言えない、複雑な心情があります」

以前はアイス会社の物流センターで働く会社員だった。侵攻後、動員で兵士になった。(2024年4 月・撮影:玉本英子)
砲兵部隊拠点の塹壕。ドローンの音がしたらすぐに木の下に身を隠すか、塹壕の奥まで駆け込むよう言われた。(2024年4 月・撮影:玉本英子)

玉本:ロシア軍という大きな敵を前に、何がウクライナ人を奮い立たせているのでしょうか?

ミハイロ曹長:

「ここにいる誰もが、この戦いへの動機を持っています。それは、家族、妻、子どもたちへの思いであり、ウクライナ人としてのアイデンティティなど様々でしょう。私はウクライナの村で育ち、学校で歴史を学び、故郷への思いを培いました。ソ連が崩壊し、ウクライナが独立して30年という時間は、我々がひとつの民族であり、ひとつの国であり、世界で認められている存在なのだと理解するのに短すぎる時間ではありません。ある日、敵があなたの土地を奪いに来た。外交の道は閉ざされ、誰も助けてはくれない。敵を追い出すには自分自身で立ち上がるしかなかった。これが私自身の思いです」

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