◆ 毎日が恐怖と衝撃、警察は武器常時携帯
カン・ギュリン氏はふと、このような考えが頭をよぎった瞬間を思い出す。
「急に、まるで実戦のように感じられたんです。素直に言われた通りにしていては飢え死にするだけだ。これからは、自分で考えて生きるんだ」
キム・チュンヨル氏はパンデミックの時期を振り返り、「本当に苦痛に満ちた時期でした。このままどれほど生きられるのだろうかと思いました」と語った。
治安も悪化し、窃盗や強盗、殺人などの凶悪犯罪が横行した。北朝鮮当局は2023年2月、社会安全省(警察庁)名義で布告を配布した。

「毎日毎日、衝撃的な事件が続き、一番恐ろしい時期でした。私たちの住んでいた所(黄海道)は、ある程度生活がましな所だったので、犯罪がそれほど多くなかったんです。ところが、殺人があまりにも多く起きるので恐ろしかった」
キム氏の隣人の夫婦も強盗に殺害されたという。
「驚いたのは、犯罪者が痕跡をたくさん残し、目撃証言まであるのに、犯人を捕まえられないことです。なぜかと聞くと、(警察に)金がないから自腹で捜査しなければならないというのです。しかも、安全員(警察)までも被害に遭うため、21年末頃には、安全員は武器を常に携帯せよという指示までありました」
これまで5回にわたって、パンデミックが北朝鮮住民に及ぼした苦痛と被害について証言をまとめた。最後に改めて指摘すべきことは、これらの被害は人災だということだ。
たとえ始まりは不可抗力の感染症だとしても、国家の無責任な封鎖と政策強行、そして強圧的な市場統制と住民弾圧はウイルス病をはるかに越える災難だった。
次回からは2回にわたって、パンデミック期における北朝鮮当局の財政危機への対応と、それがもたらした社会変化について報告する。(続く>>)
