
北朝鮮の市場経済を語る際に、誰もが重要なプレーヤーとして刮目した「トンチュ」(金主の意)。彼らは1990年代半ばからの大社会パニック期=「苦難の行軍」を機に出現した新興富裕層であり、また市場経済を拡大、成長させた原動力でもあった。物資の流通を中心に始まったトンチュの影響力は、次第に鉱山、漁業、運輸、不動産など、麻痺状態に陥っていた産業分野全般に広がっていった。トンチュの視線が向かう場所には新しいビジネスと雇用が生まれ、流通が活性化した。国家配給が崩壊して絶望していた人々の暗い表情を再び明るくする役割も果たした。
しかし、2020年以降、多くのトンチュがあっという間に没落した。その最大の原因は金正恩政権による「新経済秩序」構築の試みだ。金政権はコロナ防疫のための社会全般の統制局面を奇禍として、反市場、国家流通再構築政策を展開。個人の経済活動を強く制限したことで、市場経済は大きく縮んでしまった。トンチュらは政権に押し潰されたように見えた。だが今、新たなトンチュの活発な動きが見え始めている。トンチュの栄枯盛衰について連載で報告する。(チョン・ソンジュン/カン・ジウォン)
◆トンチュはどのようにして勃興したのか?
北朝鮮経済の市場化の主役、トンチュの果たした役割について一例を挙げてみよう。
北朝鮮で、流入した「韓流文化」の影響が絶頂を迎えていた2000年代後半、密搬入された韓国製品は「品薄になるほど」需要が高かった。驚くべきことに、韓国で新作映画が公開されてわずかの間に、その映画の主人公と同じ服を身にまとった人々が北朝鮮の街を闊歩するようになった。なぜそんなことが可能だったのか。
そのカラクリは次の通りだ。
平安北道(ピョンアンプクド)新義州(シニジュ)の密輸業者は、韓国で映画が公開されると、間髪おかずにその映像が入ったメモリーカードを中国経由で北朝鮮国内へ持ち込んだ。メモリーカードは、実質的に個人が運営する「サービ車」を通じて、半日もかからずに平安南道(ピョンアンナムド)平城(ピョンソン)の衣料流通業者の元へ届けられる。

流通業者は、映画に登場する服装の中から人々に好まれそうな数点の画像を選び、直接雇ったデザイナーに渡す。デザイン画が完成するとすぐに衣類加工業者へ送られ、委託加工の労働者たちがその図案に従って縫製を始める。この労働者は、職場に収入の一部を納めることで、職場に属しながらも、より高い報酬を得られる仕事を得た国営企業の従業員たちであった。
生産された衣類は、「チャパン商売」と呼ばれる、これまた実質個人経営の運送業者のコンテナに載せられ、再び国境都市・新義州の卸売業者に送られる。ここで、それらの衣類は輸入品の流通ルートに乗ることで、中国から輸入された「南朝鮮の服」と認識され、清津(チョンジン)と咸興(ハムフン)、元山(ウォンサン)、海州(ヘジュ)など全国の大都市に送られた。
一方、その間にメモリーカードに収められた映画は、非合法のコンテンツ流通業者に渡され、数千、数万個のメモリーにコピーされる。そして全国のジャンマダン(市場)周辺をうろつきながら「いい映画ありますよ」とささやく、末端の密売人たちに供給された。
韓流に夢中になったある若者が、馴染みの商人に勧められた「いい映画」を購入してこっそり観る頃には、ジャンマダンでは映画に登場した衣装が、「ソン・ヘギョコート」や「イ・ビョンホンジャンパー」と呼ばれ、ファッションに敏感な若者たちの購買意欲を刺激していた。
これは貿易と流通の主導権を市場が握り、その中で活発に活動する密輸、運送業、加工業、流通業などに、トンチュがいたからこそ可能だったことだ。

◆トンチュ没落の序幕とは
トンチュの衰退が感知され始めたのは2019年4月頃だった。
当時、平壌から中国に出張に出たある貿易業者は、アジアプレスとのインタビューで、「平壌が大不況に直面している」とし、次のように伝えた。
「商売がうまくいかず、中区域、牡丹峰(モランボン)区域など中心部の市場さえ空きが目立つ。破綻、没落した富裕層がとても多い。貿易商社や石炭を輸出していた会社が倒産した」
金正恩政権による2017年の核実験以降、数度にわたって実施された強力な国連安保理制裁により、北朝鮮の輸出は大打撃を受けた。圧倒的な割合を占める対中国輸出額は、2017年の約17億2300万ドルから2018年には約2億1300万ドルへと、約9分の1に急減した。
貿易と関連する流通業のトンチュには大打撃となった。しかし、これはトンチュ没落の始まりに過ぎなかった。 (続く)
※アジアプレスでは中国の携帯電話を北朝鮮に搬入して連絡を取り合っている。