◆瓦礫は被害の傷跡

このプロジェクトを支援したのは日本で、「ウクライナ緊急復旧計画事業」の一部として、国際協力機構(JICA)を通して始まった。再生建材は使用材質への基準があるため、これをクリアするよう準備に約1年かかった。作業員は重機操作訓練や破砕作業工程の研修を受け、操業にこぎつけた。日立建機、コマツの重機が投入され、ドイツ製の破砕機は日本の建機メーカー、日工が連携。現在、日本企業各社の参画で、同様のプロジェクトがウクライナ各地で稼働中だ。

瓦礫はベルトコンベヤーで運ばれ、複数の工程を経て段階的に細分化される。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)
ドイツ製の破砕機は、日本の建機メーカー、日工(本社・明石市)が連携。日本国民からの支援を示す「From The People of Japan」のラベルがあった。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)
最終工程を経て細かい砂状になり、これが2次再生建材として、道路舗装や建設に再利用される。(2025年4月・ドニプロ・撮影・アジアプレス)
道路は市民の重要なインフラだが、絶え間ない攻撃で損傷も激しい。また、前線に近い地域では、戦車など重車両が頻繁に通過するため、道路が陥没・破損する。(2025年4月・クラマトルスク・撮影・玉本英子)

重機オペレーターのイワン・コルチャギンさん(34)は、瓦礫再生プロジェクトへの日本の支援に感謝しつつ、こう話した。

「この瓦礫が、隣国ロシアによる攻撃でもたらされた結果というのはとても悲しいことです。私たちの町が受けた被害の傷跡です。これらの瓦礫が処理場に運ばれてくる量が少ないほど私たちには喜ばしいのですが、瓦礫が絶えることはありません」

<ウクライナ>ハルキウ地下鉄駅構内の学校で「ミサイルから子ども守り、授業を」(写真16枚+地図)

2023年1月、ミサイル攻撃現場で破壊された集合住宅。こうした攻撃と破壊が今も市内各地で続いている。(2023年1月・ドニプロ・ウクライナ・国家非常事態庁DSNS公表写真)
2023年1月の攻撃で破壊され、その後、損壊部分が撤去された集合住宅。中央の赤丸部分には住居棟があり、左右がつながっていたが崩落。現在は整地されている。撤去されたコンクリート瓦礫は膨大な量にのぼる。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)
住宅の壁面には、攻撃の爪痕がまだ残っていた。直接被弾しなかった部分でも、亀裂で崩落する危険性があるため、棟ごと切り離して取り壊す例も少なくない。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)

旧ソ連時代に建てられた集合住宅の多くが9階か5階建てだ。脆弱な構造の建物もあり、上階部分にミサイルが着弾すると、階下の部屋と床が一気に崩落する状況が頻繁に起きる。崩れたコンクリートの下敷きになって死傷する例もあいついでいる。

果てしないコンクリートの瓦礫片。それは、そこに住んでいた人びとの命が一瞬にして絶ち切られ、生活が引き裂かれた「証し」だ。破片のひとつひとつに、人びとの悲しみと怒りが刻まれているかのようだった。瓦礫は再生できても、失われた命は戻っては来ない。

コルチャギンさんは話す。

「戦争が終わったとき、この重機が本来の目的の機械として、町の建設に役立つよう使われる日が来ることを願っています」

<ウクライナ>命が断ち切られる日々、占領地からの避難民がミサイルの犠牲に(ザポリージャ)写真13枚

重機オペレーター、コルチャギンさん。「戦争が終わったとき、この重機が本来の目的の機械として、町の建設に役立つよう使われる日が来ることを願っています」と話した。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)
被害現場では建物ごと撤去されることもあり、処理場に運ばれてくる瓦礫には、家具や絨毯、衣類も混ざっている。人びとの命と生活の「痕跡」であり、それが一瞬にして奪われた。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)
2023年1月のミサイル攻撃では、子ども6人を含む46人が犠牲となった。現場にはいまも亡くなった子どもを追悼し、ぬいぐるみが手向けられている。(2025年4月・ドニプロ・撮影・玉本英子)

★新着記事