爆音のない静かな空を
~厚木基地周辺住民、半世紀の訴え~ <第5回>

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【市街地上空を飛ぶ米軍E-2C早期警戒機】

【市街地上空を飛ぶ米軍E-2C早期警戒機】

「当たり前の暮らしを望んでいるだけです」
厚木基地騒音公害訴訟は、1976年提訴の第1次、84年の第2次、97年の第3次と続き、基地周辺住民からなる原告団も、92人、161人、5047人と増えていった。第1次と第2 次では、国を相手取って米軍機の飛行差し止めと騒音の損害賠償を求めた。

それぞれ最高裁と高裁まで争い、どちらも「日米安保条約に基づく米軍機の運行に日本の民事裁判権は及ばない」と、飛行差し止めは却下されたが、「騒音は受忍限度を超えている。騒音被害を生ぜしめている飛行場の設置・管理者である国には瑕疵があり、その侵害行為は違法だ」として、損害賠償は認められた。

第3次訴訟では、原告に高齢者も多く、裁判の長期化を避け、速やかな勝訴で政府に反省を迫るために、飛行差し止め請求はせず、損害賠償に的を絞った。2002年の横浜地裁判決は、総額27億4600万円の損害賠償を国に命じ、「爆音に苦しめられている住民に対して、国は本腰を入れて真摯な態度をとっているとは考えられない」と、国の姿勢を批判した。

国側は東京高裁に控訴したが、2006年7月に総額40億4000万円の損害賠償を認める判決が下された。国は上告を断念した。
裁判で尾形は目撃機数記録を法廷に提出した。それは「尾形調査」と呼ばれ、参考資料として採用され、判決の中でも言及されている。

「3次にわたる訴訟で、爆音は違法だという判決が繰り返されているにもかかわらず、爆音はなくなっていません。これで果して法治国家と言えるのでしょうか。私たちはお金が欲しいのではなく、静かな空の下で、会話をしたり、テレビを見たり、病人が安静にできたりする、当たり前の暮らしを望んでいるだけです。

爆音の痛みを広く訴えて、違法な爆音を放置している国に根本的な解決を促すための裁判なんです」
そう語るのは、第3次訴訟原告団の団長を務めた真屋求〔まやもとむ〕(80歳)である。真屋は、騒音訴訟の中心となった住民団体、厚木基地爆音防止期成同盟(会員約2000世帯)に1960年の結成時から参加し、現在は顧問をしている。
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