市場に並ぶ横流しされた支援食糧(2004年7月清津市 リ・ジュン撮影)

 

支援物資のゆくえ
シム:爆発事故があったとき、外国からものすごい量の支援品が届いたと聞いたんだけど、いったいどんな物が来たんですか?
女性:栄養剤、布団、それから避難所の代わりに張って使えるようにとテントも届いたし、机、イス、それから匙まで。なんでもありましたけど、全部南朝鮮の物ばかり。だけど、何一つ分けてくれなかったんですよ。

シム:住民には分けられなかったんですか?
女性:そう。何一つくれないのよ。

シム:支援物資が来るのはどうして知ったんですか?
女性:通りに立ってて全部見てたんですよ。中国の丹東から入って来るんですが、自動車にずらりと積んでるんだから、見えないはずないでしょ。

シム:その車は、朝鮮に入ってきてからどこに行っちゃたんですか?
女性:全部龍川に集合しましたよ。龍川では、まず幹部の中の担当がそれを受取って分配のやり方を決めて、被害の申請受け付けもやりましたよ。
でも、幹部たちが全部取っちゃったんですよ、結局。その後随分経ってから、支援の薬、栄養剤なんか初めて見たんです。

シム:え?
女性:背伸び薬(アミノ酸のこと)、栄養剤など、南朝鮮のものはみんな市場で売られてましたから。薬を飲むときは、それに抗生物質が入っていれば栄養剤も一緒に飲まないといけませんからね(注1)。体調が悪い時は一つ二つ市場で買って飲むんですよ。

シム:支援品を持ってきた人たちが、住民に直接自分たちで配るということはなかったんですか?
女性:そんなのあるわけないですよ。必ず車が来て「それでは、役所の方には、私たちがこれだけ運んでおきます」てなやり方ですよ。
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