軍服姿の男たちが穀物の無断移動を監視している。(2007年10月黄海北道沙里院郊外 リ・ジュン撮影)

 

2 二〇〇八年春の食糧危機の特徴
朝鮮で食糧危機が頻発し、そこに国際的な関心が集まり各国からの援助が始まって久しい。こういった食糧危機の現状が報道され、国際社会が援助を送ることも、もちろん重要であるが、そうした対症療法的な方法に留まらず、より構造的で生産的な問題解決を目指すためにも、現在の食糧危機の特徴をよく観測、分析すべき時期に来ていると言えよう。以下に、朝鮮内部から筆者へ送られてきた資料に基づき、今回の食糧危機の特徴を列挙した。

(1)穀倉地帯、黄海道の食糧危機を招いた「非社検閲」(注1)
黄海道では穀物の盗難とそれを取り締る「非社検閲」により、人為的な食糧危機が発生したという。
昨年の水害の後、収穫高減少が懸念されはじめると、この地域の農場や農民たちの間で「二〇〇七年の収穫物は一〇〇%軍糧米に回される」という恐怖と不安の入り交じった流言飛語が広範囲に広まったという。

道内は瞬く間にパニックに陥り(注2)、やがていたる所の農場で収穫物の盗難隠匿が多発し、収拾がつかなくなった。
そこで、このような状況について報告を受けた国家が、その収拾策として昨年一一月、中央裁判所の統括のもと「超強硬非社グルパ(グループのこと)」を黄海道へ派遣したといわれる。派遣されたグルパは道内全体を封鎖し、食糧の一大捜索、検挙を行ったという。

その結果、道内の穀物貯蔵や流通は大混乱に陥った。農民の隠匿食糧は摘発によって没収され、流通が滞って市場の価格が急騰した。
秩序の危機に対する当局による管理が、穀倉=黄海道の食糧危機を現実のものにしてしまったわけだ。食糧生産において黄海道の占める割合が大きいだけに、この地域における混乱は全国に広く波及したと見られる。

(2)食糧危機の構造的な要因=「八・三資本主義」(注3)
朝鮮の市場は「八・三資本主義」的状況である。
苦難の行軍期(九〇年代の食糧危機期)の市場活動は、必要に迫られた受動的なものであり発達過程にあったが、今やその規模や積極性において大変な進化を遂げた。だが、これらの市場はいまだに継子(ままこ)扱いであり、制度改革の遅延など政策的、構造的な欠点は枚挙に暇がない。
朝鮮の経済構造が市場主義経済に向かっており、もはや後戻りできないところまで来ているということは、誰の目にも明らかである。にもかかわらず、既得権の維持しか頭にない保守的権力に遠慮して、企業人も官僚も莫大な経済的なムダと犠牲に目をつぶっているというのが昨今の現実である。

では、今般の食糧危機の中で、市場はどのような役割を果たしたのだろうか。
今回の食糧難の非農村地域における特徴は、これまで消費する食糧の大部分を配給と機関供給に頼ってきたために市場が発達していなかった労働者区域に、真っ先に危機が訪れたという点だ。

筆者の調査したところによると、餓死者と放浪者が最初に発生したのは、咸鏡南道高原(コウォン)郡水洞(スドン)労働者区域をはじめとする炭鉱・鉱山地帯、新興(シヌン)郡と平壌(ピョンヤン)市江東(カンドン)郡などの軍需工場地域だった。
市場の果たしている流通機能は平壌市内であっても絶大だった。
市場で一キロあたり一五〇〇ウォンだった白米価が、三月の配給がなかったため、月末ごろには一七〇〇ウォンに、四月初旬には二五〇〇ウォンにまで跳ね上がった。

また米だけでなく墓参りの供え物のりんごが一キロ三縲恷l〇〇〇ウォンから七縲恃ェ〇〇〇ウォンに(四月四日は清明節といい朝鮮では墓参りをする)、豚肉は五〇〇〇ウォン、小麦粉は二五〇〇ウォン、きゅうりが三〇〇〇ウォン、唐辛子が七〇〇〇ウォン、わらびは二〇〇〇ウォンにまで上昇した(いずれも一キロ当たりの価格)。
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