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 © SHIBUYA Atsushi

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東ティモールの光と影
【第1回】
地図で東ティモールの場所をすぐに指差せる人はそれほど多くないだろう。アフリカ大陸のどこかだと勘違いしている人もいたほどだ。四国ほどの大きさしかないので目立たないが、地理的に日本から遠くはない。観光地バリ島から飛行機で1時間40分ほど東へ飛べば辿り着く。

日本との時差はなく、地図上で沖縄から南へ下って赤道を越えるとティモール島に行き当たる。その島の東半分が東ティモールだ(正確には西ティモールにある飛び地のオイクシが加わる)。

その歴史に平穏無事な時代があったかどうか知らない。日本の種子島に鉄砲が伝来したとされる1543年には、ティモール島はポルトガルに占拠されていた。ポルトガルは当時ティモール島の特産だった白檀をマカオ経由で中国に売り、莫大な富を築いた。

17世紀になると西半分はインドネシアを植民地にしていたオランダの支配下になった。島の東側だけ不自然な形で独立することになったのはこの両国の植民地支配に端を発する。

日本とのかかわりも深い。1942年から1945年にかけて日本軍がティモール島を占領、オーストラリア・英国連合軍との戦争の最前線となった。東ティモールを旅していたときに出会ったある老人は「日本の兵隊さんといっしょにオーストラリアと戦った。

よく爆弾が落ちてきた」としっかりした日本語で話しかけられたことがある。また日本軍はこの国でも「慰安所」を作ったが、東ティモールが独立した今も日本政府による謝罪や補償はないままである。

日本の敗戦後、再びポルトガルが苛烈な植民地支配を続けたが、1970年代に入ると世界中で民族主義が噴出し、東ティモールでも自分たちの国の未来は自分たちで決めようと考える若者たちが現われた。その中には現在大統領であるラモス・ホルタ氏もいた。1974年、ポルトガル本土で政変が起きて植民地を手放さざる得なくなり、1975年にはアンゴラとモザンビークがポルトガルからの独立を果たした。

この流れを受けて東ティモールも独立を宣言したが、アジアの片隅の小国には異なるレールが敷かれていた。インドネシアに軍事侵攻されたのだ。時は冷戦真っ只中、反共を掲げる資源大国インドネシアとの関係を優先した米国や英国、日本を含めたアジアの近隣諸国はこぞってインドネシアの一方的な軍事行動を黙認した。
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