081214_apn_east_timo_map2.gif住民投票(99年)、国連暫定統治(00年)を経て、東ティモール民主共和国として独立(02年)。ティモール島東部と飛び地オイクシからなり、面積は東京、埼玉、神奈川、千葉をあわせた大きさに相当。人口は約100万人。

その暗黒時代は四半世紀続き、その間に圧制や飢餓、抵抗運動の弾圧などで20万人ともいわれる人命が失われたといわれるが、インドネシアの国内問題と片付けられた。東ティモールの人々は「見殺し」にされたも同然だった。

風向きが変わったのは1998年のインドネシア・スハルト政権崩壊がきっかけだった。1999年には国連の監視下で独立の是非を問う住民投票が行われ、有権者の8割近くが独立を選んだ。しかしインドネシアによる併合を望む一派と彼らを支援するインドネシア軍が投票結果を受け入れず、独立派の活動家や支持住民に対して報復を始めた。

その破壊ぶりときたら、併合以前の状態に国土をリセットする勢いで、武装した民兵らが略奪や放火などで徹底して町を破壊し、首都ディリは瓦礫の山と化した。しだいに被害は全土に及び、30万人以上が難民となって西ティモールに逃れた。

この後、オーストラリア軍をはじめとする多国籍軍が展開して治安維持にあたり、国連による暫定統治が実施されたのだが、このときの騒乱が残した禍根は後々まで国民を引き裂くことになるのだった。

21世紀最初の国として2002年に誕生した東ティモール。当時は国際社会も独立を祝福し、新しい国家誕生をサクセスストーリーのごとく伝えたものだ。その熱狂もつかの間、6年が経過した今も建国という産みの苦しみが続いている。

とりわけ、2006年5月に起きた首都ディリでの騒乱は、この国が依然民族的な対立のしこりを残しているだけでなく、警察組織や行政などの統治の脆弱さ、十分な雇用を生み出す産業がないために一向に改善しない失業問題、複雑な歴史的背景からくる教育の難しさなど、さまざまな弱点を露呈することになった。

2006年から2007年にかけて、わずか2ヶ月間ではあったが滞在して見聞きした東ティモールの光と影、そこからこの国が前進していくための課題は何なのかを考えてみたい。 (続く>>