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© SHIBUYA Atsushi

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東ティモールの光と影
【第2回】
2006年11月下旬、バリ島を出発したメルパチ航空の小型旅客機はわずか1時間40分ほどで東ティモールの首都ディリの国際空港へ到着した。国際空港といっても乗り入れる航空機は他にないので、乗ってきたメルパチ機のエンジンが止まると空港は静まりかえった。

炎天下、歩いて入国審査に向かうと、ゲートには「Bem Vindo」(ポルトガル語で"ようこそ"の意味)とあった。いくら昔ポルトガルの植民地だったとはいえ、こんなアジアの辺境でポルトガル語が本当に通じるのか、興味津々と入国審査官に「Bom Dia」(おはようございます)と声をかけてみた。すると、「滞在の目的は?」「滞在期間は?」など簡単な質問がポルトガル語で返ってきた。

東ティモールは独立を果たした2002年にポルトガル語諸国共同体(CPLP)に加盟している。ブラジルやアンゴラ、ポルトガルなどの他の加盟国も行ったことがある。ブラジルには延べ1年以上滞在している。

そのため東ティモールにも特別な関心を持っていたが、日本からこんなに近いところでポルトガル語が使われている国が存在する、ただそれだけのことで感激し、初めての国に入る緊張感が和らいだのを覚えている。しかし、そんな観光気分は空港を出てすぐに雲散霧消するのだが。

荷物をピックアップして空港を出ると、白いビニールテントが立ち並ぶ敷地が眼前に広がった。避難民が暮らすキャンプだとすぐにわかった。どんな国に行っても一国の玄関口である国際空港の周辺はきれいに整備されているものだが、東ティモールはそれだけ異常な事態にあることを表していた。

同じ便でやってきた他の外国人たちが荷物を抱えて空港から出てくると、敷地を囲むフェンスの隙間から子どもたちが10数人出てきた。タバコや水、ガムなどを売ろうと外国人に近づくのだが、ライフル銃を持った軍人らにすぐに追い払われた。空港は多国籍軍に属する外国人に警備されていた。

とぼとぼとキャンプに戻る子どもたちを見ていると、「なぜ避難民キャンプができたのだろうか」「子どもたちは学校に行っていないのだろうか」「東ティモール人の警察はどうしたのだろうか」いろいろな疑問が浮かんできたのだった。 (続く>>