米軍FA-18戦闘攻撃機

米海軍厚木基地を拠点に訓練飛行する米軍FA-18戦闘攻撃機。過去に何度も米軍機墜落事故が起きた。

 

国家が情報を隠蔽するとき

 

39 米軍ファントム機墜落事故の被害者は訴える
「それが政府機関の常套手段なのです。正式な文書は秘密にしておいて、米軍と米軍優位を認める日本政府に都合のいいように要旨をまとめるんです。私たち家族が被害にあった米軍機墜落事故の調査報告書でも同じでした」

そう憤りをこめて語るのは、「在日米軍による犯罪・事故の被害者の会」代表、椎葉寅生である。
1977年9月27日、神奈川県にある米海軍厚木基地を飛び立った米軍機RF-SBファントム戦術偵察機がエンジン火災を起こし、横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落。3歳と1歳の男の子が死亡し、重傷3人、軽傷4人、家屋全焼2棟、損壊3棟の被害が出た。死亡した子どもたちの母親も全身に重い火傷を負って入院したが、事故から4年4ヵ月後に亡くなった。

当時39歳の椎葉が住んでいたアパートは全焼し、妻は全身に重い火傷を負った。家財道具も焼失した。墜落事故が起きたとき、椎葉は勤め先の会社に、長男と長女は通っていた中学校と小学校にいて、無事だった。
米軍機の乗員2人はパラシュートで無事に脱出し、事故直後に厚木基地から飛来した海上自衛隊ヘリコプターに救助されて、基地に運ばれた。

米軍は直ちに事故現場に立ち入り、墜落機の部品を回収した。現場検証は日米合同でおこなわれたが、主導権は米軍が握った。日本の捜査当局は、墜落機の部品回収を米軍の手に委ね、周囲に日本人が近づかぬよう警戒線を張ったに過ぎなかった。
日本の捜査当局は事故の重要参考人(または被疑者)に当たる米軍機の乗員から事情聴取もせず、レポートを出させただけだった。

その後の、日米合同委員会事故分科委員会による調査でも、米軍が一旦、墜落機のエンジンを密かに米国に持ち去るなど、米軍主導に終始した。事故原因は整備不良とされたが、米軍関係者の誰も責任を問われなかった。米軍機の乗員2人は帰国してしまった。

「日本政府には、事故原因の究明と責任者の処罰を強く求める姿勢などありません。当時の防衛施設庁が米軍の肩代わりをして、被害者に補償交渉を勧めるばかりでした」
納得がいかない椎葉と妻は1978年、米軍機の乗員と整備士らを業務上過失致死傷罪などの疑いで横浜地検に告訴した。しかし、証拠が不十分とされ、さらに米軍人の公務中の事故の第1次裁判権は米軍側にあり、日本側にはないとの理由で、不起訴になった。

「証拠不十分とされましたが、証拠が集まらなかったんじゃなく、日本側当局が捜査を充分におこなわず、証拠を集めなかったんですよ」
1980年、椎葉夫妻と長男長女ら一家は米軍機の乗員と国(日本政府)を相手取り、損害賠償請求の民事訴訟を起こした。1987年、横浜地裁は公務執行中の米軍人にも日本の民事裁判権は及ぶとしたが、公務中の事故の賠償責任は認めず、国の賠償責任だけを認めた。

「裁判に訴えたのは、事故の原因と責任の所在を明らかにしたかったからです。国側は事故分科委員会の調査報告書を、米国との合意がないからという理由で公開しません。裁判の証拠に出してきたのは、同委員会の検討・調査をとりまとめたという、日付も作成者の名前もない文書でした」
その文書は、エンジン部品の装着不良が事故の原因だが、装着不良は整備中に発見し得ないもので、故障は予知できなかったと結論づけ、責任の所在には全く触れていない。

「正式な報告書にはより詳細な事実が載っているはずです。それを秘密にして、さも米軍に落ち度も責任もなかったようにまとめています。被害者には事故の全容、真相を知る権利があるのに、それを知ることができないようにされているのです。国会図書館の蔵書である『実務資料』をめぐる情報隠蔽も、政府の秘密主義から来ており、そして日米地位協定、米兵犯罪裁判権などをめぐる日米間の密約が、米軍の事故や犯罪の責任追及を阻んでいるのです」と、椎葉は強調する。
つづく(文中敬称略)
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