1994年に撮影された、ある在日帰国者一族の北朝鮮での最後の記念写真。皆ひどくやせている。日本の親族からの支援が途絶えて生活が転落したという。(脱北して韓国に住むキム・ヨンジャさん提供)

北朝鮮には日本から渡って行った元在日朝鮮人が数多く住んでいる。一九五九年から始まった帰国事業によって社会主義の祖国に向かった人たちとその子孫だ。日本からの帰国者たちは北朝鮮でどのように見られ、どのように扱われて来たのか。その一端をよく表しているのが、「ジェポ」「キィポ」「ジェッキィ」という呼び方である。

ジェポは〈在日同胞〉(ジェイルドンポ)、キィポは〈帰国同胞〉(キィグクドンポ)、そしてジェッキィは〈在日同胞帰国者〉(ジェイルドンポキィグクチャ)を略した言葉である。

しかし、多分に帰国者を蔑む差別的なニュアンスを込めて発せられることが多い。音としての印象も、朝鮮語として嫌な感じがして耳触りがすこぶる悪い。特に「ジェッキィ」は、朝鮮人が人に悪態をつくときによく使う「セッキ(小僧、ガキ)」に近い音で、これを発する時は、在日帰国者に対して敵意か侮蔑の気持ちを一緒に吐き出すのだろうと想像される、そんな呼び方である。

「『ジェポ』なんて呼ばれるとものすごく気分が悪いよ」
「日本にいた時は『チョーセンジン』と馬鹿にされたけれど、朝鮮に帰っても『ジェポ』『キィポ』と馬鹿にされた。そして今は『脱北者』と馬鹿にされる」
北朝鮮から脱出して今は日本や韓国に住む元帰国者たちの弁だ。

在日帰国者たちは、北朝鮮を支持する在日朝鮮総連に組織されて社会主義の祖国に帰った。その数は九万三〇〇〇人余りになる(日本人配偶者や子どもなど日本国籍者約七〇〇〇人を含む)。日本社会で生活改善の手立てを見つけられず、慢性的な貧困にあえぐ一方、根強い差別に直面していた当時の在日朝鮮人にとって、朝鮮総連の宣伝する「発展する社会主義の祖国」はとても魅力的なものに思えた。ところが、実際の北朝鮮はそうではなかった。帰国事業が始まった当時は朝鮮戦争が休戦になってまだ六年しかたっておらず、国中に米軍の空爆の痕が残っていた。まだ戦後復興のただ中にあったのだ。

日本よりもずっと貧しい生活、思想も行動も言論の自由もない社会の雰囲気の中で、在日帰国者たちは北朝鮮社会になかなか適応することができなかった。日本での資本主義生活様式をなかなか捨てきれず、日本と同じように不満をあからさまに口にする帰国者たちは、いつしか「不満分子」「異質分子」として警戒の対象となっていった。

北朝鮮の人々も、帰国者たちの異質さに面食らったようである。同じ朝鮮人であるのに、日本生まれの二世の多くは朝鮮語ができない。言葉ができる一世たちも、もともとの故郷はほとんどが南朝鮮で、抑揚も単語も随分異なる。思考も行動も、服装も髪型も日本の自由主義式だ。それに日本から持ち込まれる物資と円に対するやっかみもあった。帰国者と現地の人々との間の葛藤は長く続くことになってしまう。

「六〇年代、帰国者が大勢住んでいた清津では、帰国者の若者と現地の若者とが、しばしば大きい喧嘩をやったよ」
「帰国者は現地の人とあまり交わらず、帰国者同士でつるむようになった。結婚も九〇%以上は帰国者同士」
脱北した元帰国者たちが共通して振り返る言葉だ。
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