◆寮で授業再開
東北朝鮮初中級学校は、大地震で校舎は大規模半壊と診断され、10月末に解体された。全児童・生徒25人は学生寮の部屋を仮教室にして授業を受けている。

校舎は解体したが、再建の道は...

「今まで体験したことのない、ひどい揺れと長い時間でした。今も思い出すと恐ろしくて震えがきます」と、尹校長は振り返る。
地震が起きたとき、初級部(小学校)の1、2年生は下校準備をしており、高学年は授業中だった。教師たちは児童たちを机の下に避難させ、揺れが収まるのを待って運動場へ逃げたという。誰一人ケガをしなかったのが不幸中の幸いだった。

ガラス窓が割れ、本棚も倒れた。余震が容赦なく襲う。「泣き出す児童たちを、中級部(中学校)の生徒たちが優しく抱きかかえて励ます姿を今でも忘れられない」と尹校長はいう。
4階建ての校舎は階段を上がるほど大きく傾き、壁の隙間から向こう側の空が見えた。地盤沈下のため、校舎横にも大きな段差ができていた。

学校再開のめども立たない。不安な状況のまま、寮の部屋を解放して自宅を失った在日の避難者たちも受け入れた。
「電気もガスも水道も止まっており、情報不足もあってどんな状況なのかもわからない。寒さと空腹で私たちはいっそう不安にかられました」
地震発生から5日目、支援の声が届くようになる。

「子どもたちや先生たちは大丈夫ですか」
「何か必要なものがあれば言ってください」
「東北のハッキョ(学校)は決して孤立していませんよ」
さらに、全国各地から救援物資が次々と届けられるようになった。震災から8カ月の間に訪れた団体や個人は延べ2000人を超えるという。
大阪で寿司屋を営む社長は「震災を乗り越えるのに国籍なんて関係あらへん」と、在日や日本人の区別なく、寿司を握ってくれた。
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