Yoi Tateiwa(ジャーナリスト)

-----------------------------------------------------------------------------------

【連載開始にあたって編集部】
新聞、テレビなどマスメディアの凋落と衰退が伝えられる米国。経営不振で多くの新聞が廃刊となりジャーナリストが解雇の憂き目にさらされるなど、米メディアはドラスティックな構造変化の只中にある。 いったい、これから米国ジャーナリズムはどこに向かうのか。米国に一年滞在して取材した Yoi Tateiwa氏の報告を連載する

-----------------------------------------------------------------------------------

第2章 非営利ジャーナリズムの夜明け
◆第2節 非営利ジャーナリズムの伝道者、チャールズ・ルイス

ワシントンDCに「ニュージアム」というニュースの博物館がある。新聞、通信、放送といったあらゆるニュース・メディアの歴史を展示している。今や、スミソニアン博物館と並ぶ人気スポットだ。訪れた人は過去の新聞記事やテレビニュースに接することができる。外壁に、大きく表現の自由をうたった米国憲法修正第一条を掲げるその建物は、さながらニュースの殿堂といった趣がある。

2010年10月21日、このニュージアムに併設されたパーティー会場には、午後6時頃から着飾った紳士、淑女の姿があった。その数は500人ほど。カクテルがふるまわれ、生演奏が流れるなか、人々が会話に興じている。

よく見ると、テレビなどで見慣れた顔が集まっていることがわかる。湾岸戦争の時にCNNの中東特派員として活躍したクリスチャン・アマンプール。ワシントン・ポストの記者としてニクソン大統領の不正を暴いたカール・バーンスタイン。何れも、きら星の様に輝くスター記者達だ。

「ニュージアム」で行われた盛大なパーティーには、著名な記者たちも顔を揃えた

「ニュージアム」で行われた盛大なパーティーには、著名な記者たちも顔を揃えた

突然、壁に大きく白人の男性が映し出され、人々から歓声が上がった。それはチャールズ・ルイスの映像だった。映像のルイスはインタビューに応えて語った。
「調査報道はジャーナリズムの真髄であり、民主主義にとって不可欠なものだ」
この日、ニュージアムで開かれていたのは、ルイスが創設したCenter for Public Integrity(高潔な社会を実現する為のセンター、以後CPI)の20周年記念の式典だった。そして、この式典でルイスはCPIの創設者として表彰される。

参加費1人300ドルの豪華なパーティーは、ルイスのジャーナリストとしての功績を讃える場となった。ジャーナリスト仲間や弁護士、情報公開に積極的な政治家らが登壇してルイスの業績を称賛した。

その1人で、ルイスがCPIを創設した当時に相談されたという人物は次の様に話した。
「ある人から、『CBSを辞めた人物が、新しいメディアを立ち上げたいと言っている。相談に乗ってくれないか』と言われた。それから間もなく、その人物から電話を受けた。彼は、『CBSを辞めた。調査報道をやりたい。既存のメディアでは調査報道はできない。だから新しいメディアを立ち上げたい』と早口でまくしたてた」
そして一呼吸を入れて、こう語った。

「私は言ったんだ。『君がやれることは1つ。これからCBSの建物に戻って、辞意を撤回することだ』と。『ばかなことを考えるな。新しいメディアなど無理だよ』と」
こう語った人物は、ある財団の大物だった。

この財団というのがこれから話を進める上で重要な位置を占めるのだが、ここでは出資者とだけ理解して欲しい。最初、この「出資者」はルイスへの支援を断ったという。後に支援を得ることになるわけだが、その最初に支援を断られたというエピソードは、新たなメディアを立ち上げようとした当時のルイスの厳しい状況を物語っている。

登壇するチャールズ・ルイス(右)

登壇するチャールズ・ルイス(右)

ルイスとのエピソードや称賛の声が一段落し、いよいよ主人公のルイスの登壇となった。ルイスは、「これほどの栄誉は無い」と、笑顔で話し始めた。
「20年前、CBSを辞めてバージニア州の自宅にCPIを作った時、娘はまだ8歳だった。

心配した娘は、お父さんの新しい職場を見せてとせがむので、ワシントンDCの郵便局に連れて行って言ったんだ、『ここがパパの新しいオフィスだよ』と。娘が安心するのを見て胸を撫で下ろしたが、それがまんざら嘘ではなかったのは、私が郵便局に私書箱を置いていたからだ」
大手テレビ局を辞めて自らの理想のジャーナリズムを目指そうとしたルイス。当然、それは成功を確信したものではなかった。しかし彼は動き出した。彼がこだわったのは、徹底した調査報道だった。
(続く)

<<<連載・第12回   記事一覧   連載・第14回>>>

★新着記事