宮森小学校で営まれた慰霊祭。焼香する遺族ら

8月5日、沖縄のキャンプ・ハンセンで起きた米空軍ヘリの墜落事故を受け、米海兵隊は普天間基地へのオスプレイの追加配備を一時見合わせていたが、それも12日、県民の反対を押し切って再開された。

沖縄県民の頭上には、常に米軍機墜落という恐怖が覆っている。その根底にある過去最悪の墜落事故は、沖縄がまだ米軍施政権下にあった1959年、沖縄本島中部の石川市(現・うるま市)で起きた宮森小学校米軍機墜落事故だ。同年6月30日、米軍のジェット戦闘機が小学校に墜落、児童を含む18人が亡くなるという大惨事があった。

事故から54年となる6月30日、同校で犠牲者を追悼する慰霊祭が開かれた。遺族や体験者らでつくる「NPO法人石川・宮森630会」が主催。約350人が参列、犠牲者をまつる校庭の「仲よし地蔵」に献花・焼香し、冥福を祈った。 (新聞うずみ火/栗原佳子)

◆整備不良機だった
事故を起こしたのは米軍嘉手納基地所属のF100Dジェット戦闘機。訓練飛行のため嘉手納基地を離陸、飛行中にエンジン火災を起こして制御不能に陥った。パイロットはパラシュートで脱出し、無人の機体は火を噴きながら住宅密集地に墜落した。さらに衝撃で跳ね上がり、民家や公民館をなぎ倒し、引きずりながら宮森小の校舎に激突。撒き散らされたジェット燃料が引火、炎の海となった。

この事故で児童11人、住民6 人が死亡、約210人が重軽傷を負った。さらに児童1人が大学時代、後遺症のため死亡している。
現場は米軍が封鎖、駆けつけた家族も立ち入りを禁じられた。新聞記者もカメラのフィルムを抜き取られた。しかも当時の米空軍司令官は「誰の過失でもない」とコメント。事故機のパイロットも「最善を尽くしたにもかかわらず事故は起きた。

不可抗力だった」と釈明した。住民の人権はないがしろにされ、遺族らへの補償も微々たるものだった。
事故から40年後の1999年、地元のテレビ局「琉球朝日放送」が米軍内部文書を入手、事故原因は整備不良によるエンジントラブルであることを暴露した。しかも事故機が爆弾を搭載していたことも明らかになった。パイロットが脱出直前、海上投棄したのだという。

◆欠陥機は落ちる
炎天での焼香のあと、慰霊祭は体育館に場所を移して続けられた。犠牲者の遺影が並ぶ祭壇の前で、米軍機が墜落した午前10時40分、参列者全員で黙祷をした。
遺族を代表して金城秀康さん(65)が挨拶に立った。当時6年生で、同級生も3人亡くした。戦闘機が墜落したのは金城さんの自宅。母親(当時50)が即死した。

「欠陥機は絶対落ちる。それを知りながら、なぜ整備不良の戦闘機を飛ばしたのか。いまも怒りを覚えるし、大変悔しい思いだ」
金城さんはそう語気を強めた。
「宮森630会」の会長、豊濱光輝さん(77)さんは当時、教師として児童の遺体安置室を担当した。犠牲者一人ひとりの名を呼んで偲び、「事故は沖縄戦の延長線上に起きた、沖縄戦の犠牲の上に基地ができ、こうやって命を落とした人たちがいる。家族は終わりなき悲しみを抱えている」と怒りを込めた。

「本土の人々は、安保条約に守られている、必要だという。しかし沖縄では安保条約の下、集中する米軍基地から身を守るため一生懸命になっている。その矛盾が68年たっても続いている」
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