◆県民健康調査は信用できない~不安消えず

国は原発事故後、一般住民の被ばく線量限度を20ミリシーベルトに引き上げ、その数字を避難指示の目安にもした。しかし、従来の限度は1ミリシーベ ルト。本来それ以上は「放射線管理区域」として仕事上必要のある技術者などしか入れない領域。もし1ミリシーベルトを採用すれば、「放射能管理区域」に該 当するエリアは福島県だけでなく、宮城、群馬、栃木、茨城、千葉、埼玉、東京まで広い範囲に及ぶとされる。

一方、原発事故のあと、福島県は放射能健康リスク管理アドバイザーとして長崎大教授の山下俊一氏を招請、山下氏は「年間100ミリシーベルトまでなら子どもも妊婦も大丈夫」などと県内を講演して回った。山下氏はいま福島県立医科大副学長である。

「私は、県民健康調査は信用していません。子どもたちの甲状腺エコー検査を、理解のあるこちらの医師のもとで受けさせています」。木幡智恵子さん (32)はそう話す。南相馬市から兵庫県三木市へ、夫、当時2歳と1歳の子どもの家族4人で避難した。自宅は原発から25キロ。「子どもを守りたい」一心 だった。

「避難する必要はないんじゃないの」「福島はこれから復興していくよ」「再就職だって難しいのでは」――。引き止める身内や友人たちを押しきった。昨年、第三子も授かり、三木市に住民票も移した。

「おひさまカフェ」と名付けた避難者同士の交流の場を開設。そこで共通しているのが健康への不安だという。だからこそ、福島県内に残る人たちのこと が気にかかる。「声を上げたくても上げられない、出たくでも出られない人たちを守るためにも、できることを考えたい」。国と東電を相手取って提訴された 「原発賠償関西訴訟」の原告団に加わった大きな理由だ。

高木久美子さん(47)も原告の一人だ。いわき市出身。京都市が自主避難者も受け入れていると知り、中2、中1の長女、次女を連れ、西を目指した。初めて布団を干し、思い切り深呼吸した日の解放感は忘れることができない。

避難までの1年間は「生きていても死んでいるような」苦しみの日々だった。娘たちを秋田に避難させた高木さんを神経質という人も多く、友人には「子 どもと離れて暮らすなんて信じられない」と笑われた。義母は「福島で立派に育てようと思っている親もいるのに、なぜあなたはできないの」と叱責されたとい う。

避難直後、子どもたちの甲状腺検査を勧められたときは「これ以上子どもたちに何かあったら」と、応じることができなかった。それほど心身とも消耗し ていた。初めて検査を受けたのは昨年8月、信頼のおける医師のもとで受診した。「のう胞はあるけど、がんになることはないと思う」との診断に、ひとまずは ほっとした。

それでも不安は尽きない。高木さんは原爆の被爆者の健康管理手帳のような「健康手帳」を考えてほしいという。「子どもたちが、いつどこにいても対応 してもらえるようにしてほしい。健康診断も甲状腺だけでなく、白血病など色々な病気に対応できるものにしてほしいと思います」(つづく)

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